1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)の追悼連載「猪木自身が語った名勝負10番」第8回。映像が残っていない、若き日の〝幻の名勝負〟を生前の猪木さんはどうとらえていたのか。

【猪木自身が語った名勝負10番(8)】1966年10月12日に蔵前国技館で行われた東京プロレス旗揚げ戦では、ジョニー・バレンタインと対戦した。

 日本プロレス所属だった猪木は豊登の誘いを受け東京プロレス移籍を決断。当時を「あの時は、旗揚げするのが精一杯でしたね。リングも土俵に組んだら幅が違って、ロープが張れなくてグラグラで」と苦笑いで振り返った。

 選手を引き抜かれた日プロサイドからの〝妨害工作〟もあったとされているが「まあ、みんなが『頑張ってください』ってわけじゃなくて、逆風の中で旗揚げ戦をやらなきゃならなかった。旗揚げさせないと引退させられちゃうんだから。〝猪木は過去の人〟っていうレッテル張られて。だからやるしかなかった」と背水の陣だったとする。

 相手は〝金髪のジェット機〟、〝妖鬼〟と恐れられた米屈指の強豪だ。ノンタイトル戦で挑んだ猪木は後の代名詞となる「弓引きナックルパート」を繰り出し、妖鬼を血だるまに。ゴツゴツとした〝ケンカ試合〟は猪木が場外でフロントネックチャンスリードロップ、水平空手チョップを決め、31分56秒でリングアウト勝ちを収めた。

「最初、アメリカでやった、アメリカンスタイルでの試合を見て『これを呼ぶのかよ…』なんて思ったんですよ。でも、来て試合をしてみたら、大違いでした。技はなかったんだけど、彼独特のパンチっていうか。そういう意味では俺も殴り返してね。殴りすぎて、俺の手が全部浮いちゃったくらいですよ」

 その後、東京プロレスは1年持たずに崩壊。猪木は日プロ復帰を経て新日本を旗揚げし、さまざまなベストバウトを繰り広げていくことになる。

▽時間無制限1本勝負
○アントニオ猪木
31分56秒
リングアウト
ジョニー・バレンタイン●
(1966年10月12日、東京プロレス・蔵前国技館)