【昭和~平成スター列伝】1日に死去した“燃える闘魂”アントニオ猪木さん(享年79)は、ボクシング世界ヘビー級王者、モハメド・アリとの異種格闘技戦(1976年6月26日、日本武道館)を実現させ、現在の総合格闘技の基礎を築いたとされる。70年代には異種格闘技戦に積極的に打って出て、ウィリエム・ルスカ戦(76年2月)、ザ・モンスターマン戦(77年8月)など、多くの名勝負を生んだ。
最も過酷だったのが78年11月7日から11月29日までの「欧州世界選手権シリーズ」だった。「キラー・イノキ」としてシリーズに臨んだ猪木は肩の負傷に耐えながら、実に23日間、6か国で全20戦(全21戦の説もあり)を戦い抜いた。第16戦となった11月25日西ドイツ・シュツットガルトでは“地獄の墓掘人”ことローラン・ボックに判定負け。“シュツットガルトの惨劇”と呼ばれ、シリーズ唯一の敗戦となった(12勝1敗7分け)。
同シリーズはこの一戦が伝説として語り継がれているが、隠れた「名勝負」もあった。第3戦となった11月9日フランクフルトで行われた元ボクシング世界へビー級3位、カール・ミルデンバーガー(西ドイツ)との一戦だ。
猪木は11月7日西ドイツ・ラーベンスブルクの開幕戦でルスカに勝利。翌8日にデュッセルドルフでボックとの初戦で反則勝ち。3日連続で強豪を相手にした。ミルデンバーガーは66年9月に西ドイツでアリの王座に挑戦し、大善戦の末、12回TKOで敗れた。すでにリタイアしていたものの、まだ40歳で体はシェイプアップされていた。しかも猪木は敵側の要求で8オンスのグローブを着用させられる不利な状況にあった。
それでも初回から3回まではサウスポーの相手に対し、完全なボクシングスタイルで対応。その構えやスタイル、パンチのコンビネーションは一流のヘビー級ボクサーのようでもあり、独特の緊迫感に満ちていた。本紙はこの一戦の詳細を報じている。
『底冷えのする会場でゴングが鳴ったのは午後11時16分だった。リーチのある左利きのミルデンバーガーはジャブからストレート。猪木はアリキックを狙うも、ミルデンバーガーにスイスイと逃げられる。初回は5―4でミルデンバーガーだ。2回も猪木の苦戦は続く。左ストレートをもらうともつれて倒れ込む。これはカウントされずゴングに救われる。3回もミルデンバーガーのボディーブローが決まる。盛んにタックルを狙う猪木だが、飛び込もうとすると左ストレート。そして左右のフック、左ストレートでカウント8のダウンを喫する。猪木は立ち上がって片足タックルを狙うが、届かずに逆にジャブをもらう。5―3でミルデンバーガーの圧倒的優位だ。4回、ミルデンバーガーの左ストレートは圧倒的に速い。しかし猪木はボクシングスタイルで応戦。その姿は“型”にはまっており、観客が驚きの声を上げる。ミルデンバーガーはなおも左右フック。猪木は突進してきた相手の右をかわす。もつれた瞬間、一歩引いた猪木が思い切った回し蹴り。これが起死回生の一打となり、後頭部にヒット。ドッと倒れ込んだミルデンバーガー。猪木はチャンスとばかり、“本職”プロレスの殺し技で両足を逆エビ固めでグイグイ締め上げ、文句なしの逆転勝利を決めた』(抜粋)
数々の格闘技戦でピンチをくぐり抜けてきた延髄斬り一発での大逆転勝利だった。猪木は「パンチは(チャック)ウエップナーのほうが強かったが、ミルデンバーガーのほうが動きが速かった。アリ以来、ボクサーとは3度目。パンチの角度がだんだん分かってきた」と安堵の表情を見せた。
遠征では欧州独特の硬いマット、ラウンド制、過酷な移動、しかもこの一戦はグローブ着用のハンディを背負ったが、終わってみれば猪木の独壇場。ここから猪木は肩に負傷を抱えながら超人的なバイタリティーで、欧州各国の強豪と激闘を展開し続け、ボックには敗れたものの驚異的戦績で最後まで戦い抜いた。まさに“燃える闘魂”が本領を発揮した欧州世界選手権ツアーだった。
(敬称略)












