【熊澤とおる 人生100年時代のセカンドキャリア(22=最終回) 2011年限りで西武ライオンズを退団した僕は、現在に至るまで地元埼玉の入間市で小中学生を対象としたベースボールアカデミーと、整骨院を運営しています。知人からも「プロ野球界に未練はないの?」と言われたりしますが、僕にとって本当にやりたかったことは、この2つだったのです。だから退団してすぐにアカデミー立ち上げの準備に取りかかり、翌春には柔道整復師の国家資格を得るため専門学校に通い始めました。

 実を言うと、西武退団後の13年に某在京球団から素晴らしいオファーをいただいたこともありました。お断りした話なので詳細は伏せますが、金銭面を含めた条件や肩書は破格なもので、正直言うと悩みに悩みました。お話を聞いてから決断するまで食事がのどを通らなかったり、食べても吐いてしまったほどです。

 それでもお断りしたのは、3年制の専門学校が2年までしか休学できないという現実的な問題もありましたが、何より自分を頼ってアカデミーを受講してくれている子供たちを裏切るわけにはいかないとの思いがあったからです。

 元プロ野球選手が開講している野球塾は多くあります。高いレベルを目指す子供たちにも基礎から野球を学ぶいい機会だと思いますが、所属するチームによっては「スクールに通うなら試合で使わない」と明言する指導者もいます。自分の教え方と違うことをして結果を出されたら、他の子供たちが言うことを聞かなくなる恐れがあるからでしょう。悪いことをしているわけではないのに、隠れて通ってくれている子供も少なくないのです。そんな生徒たちのことを思えば、やめるという選択肢はありません。ましてや自分がやりたかったことで、この先も元気な限り続けていくつもりです。

 相手がプロであろうと小中学生でも、指導するうえで大切なのは信頼関係。それは整骨院での治療でも同じです。例えばヒジ痛にしても、原因は投げすぎや投球フォームに問題があるケースなど人によってさまざま。治療はもちろん、再発させないためにどうすべきかも含め、じっくりと話し合う。そのスタンスは環境が変わっても一貫してきましたし、今後も変えるつもりはありません。

 22回にわたってお送りした当連載も、今回で最終回となりました。オファーをいただいたときには「自分なんかでいいんですか?」と戸惑いもありましたが、何か一つでも読者の方の心に引っかかってくれたなら幸いです。お読みいただき、ありがとうございました。

 ☆くまざわ・とおる 現姓は中村。1973年9月7日生まれ。埼玉県出身。所沢商高から91年ドラフト3位で西武入団。一軍出場はなく98年に引退。二軍用具係兼サブマネジャーとして球団に残り、2005年オフから松井稼頭央(当時メッツ)の個人トレーナーとして渡米。08年に一軍打撃コーチ補佐として西武に復帰し、日本一に貢献。二軍打撃コーチ、二軍守備走塁コーチを経て11年に一軍打撃コーチ補佐を務める。11年退団。現在は埼玉・入間市で整骨院を営むかたわら、小中学生を対象とした野球塾を運営している。