【熊澤とおる 人生100年時代のセカンドキャリア】2010年のドラフト3位指名で西武ライオンズに入団した現広島の秋山翔吾は「9番・右翼」で11年4月12日の日本ハムとの開幕戦にスタメン出場を果たしました。2戦目には3安打を記録するなど順調な滑り出しでしたが、僕の第一印象は「このままでは使えないな」というものでした。

 実際に、その後は打率が2割を切るなど低空飛行。7月上旬に出場選手登録を抹消することになりました。打ち方に問題があったわけではありません。原因はボールへの入り方。その点を本人ともじっくりと話し合い、徹底的に直していきました。そのうえで繰り返し行ったのはスイングする形でスポンジボールを左手でキャッチしたり、テニスのラケットを使って面で捉える練習でした。

 手打ち野球を思い出してみてください。変化球に対して右打者が前にくる左手で対応するのは難しいですよね。でも、右手なら何とかなる。左打者の秋山は後ろ手になる左手の感覚が良くなかったので、繰り返すことで修正したわけです。腕の使い方が天下一品だった浅村栄斗は「なんでこんなことができないんですか?」と不思議そうに見ていましたが、同じようにタイトルを取るような打者でも打撃における感覚には大きな違いがあるのでしょう。

 バットでボールを打ち返すだけが打撃練習ではありません。個々の選手によって克服すべき課題はさまざまで“治療法”もいろいろです。米国で松井稼頭央の個人トレーナーをしていた時には、ゴルフショップで買ってきたプラスチック製の穴あきボールにひもを通して打撃練習に使ったこともありました。

 秋山との練習ではチーム内に「熊澤はナイター後で疲れている秋山に打ち込みをさせている」という批判的な声が上がっていることも耳に入りましたが、そもそもの目的は体力強化ではなく打てるように“クセ”をつけること。何を言われようとプロの世界は「やったもん勝ち」なのです。大事なのは一日24時間という限られた時間の中で、どれだけやるか。続けたからこそ、今の秋山があると言っても過言ではないでしょう。

 現GMの渡辺久信監督からオファーを受けて一軍打撃コーチとして古巣復帰した08年にはリーグ優勝に日本一、アジアシリーズ制覇と、これ以上ない経験をさせていただき、その後も09年と10年の二軍打撃コーチ、二軍守備走塁コーチ、11年の一軍打撃コーチ補佐として若く才能あふれる選手たちと接することができました。11年限りで西武を退団しましたが、今でも元教え子の現役選手から相談の電話があるのは指導者としてうれしい限りです。

 ☆くまざわ・とおる 現姓は中村。1973年9月7日生まれ。埼玉県出身。所沢商高から91年ドラフト3位で西武入団。一軍出場はなく98年に引退。二軍用具係兼サブマネジャーとして球団に残り、2005年オフから松井稼頭央(当時メッツ)の個人トレーナーとして渡米。08年に一軍打撃コーチ補佐として西武に復帰し、日本一に貢献。二軍打撃コーチ、二軍守備走塁コーチを経て11年に一軍打撃コーチ補佐を務める。11年退団。現在は埼玉・入間市で整骨院を営むかたわら、小中学生を対象とした野球塾を運営している。