【熊澤とおる 人生100年時代のセカンドキャリア(19)】米国で松井稼頭央の個人トレーナーをしていた時は一人だけを見ていれば良かったわけですが、チームのコーチとなると全体を見渡さなければいけません。ただ、選手との対話を重視する僕のやり方が変わることはありませんでした。

 2021年に西武ライオンズの生え抜きでは初の通算2000安打を達成し、今や「ミスターレオ」と称される栗山巧とのやりとりでは、こんなことがありました。打撃コーチ就任1年目、08年のある日の試合後に打撃フォームの動画を見ながらミーティングをしていたら、栗山が「これもありですよね」と提案してきたのです。個人的には賛成しかねる考え方でしたが、僕の答えは「やってみたら」。ダメなら元に戻せばいいからです。

 いきなり打率3割5分とか4割を打てるわけではないし、コーチが頭ごなしに「こうしろ」と言ったところで結果が出るとも限りません。仮に言いなりにやって結果が出たとしても、次に別の壁にぶち当たったらどうするか? 何より大事なのは選手が納得してプレーすることで、そのためにはこちらが求めることと選手のやりたいことを話し合いですり合わせていくしかないのです。

 その点で「おかわりくん」の愛称で親しまれている中村剛也には、のみ込みの早さに驚かされたことがありました。打席での間合いについて気になるところがあったので呼び出すと、動画を見るなり1球目で「あっ、遅いっすね」。じっくり話し合うつもりが、ミーティングは1分足らずで終わってしまったのです。

 話は前後しますが、二軍コーチとなった09年と10年には選手個々のレベルに合った目標設定を心がけました。これは稼頭央のケガでルーキーリーグから1A、2A、3Aといったマイナーでリハビリやプレーをする中で各リーグのコーチから学んだ考え方です。

 プロでも1年目から一軍で活躍できる選手などまれで、そのレベルに達するまでに3~5年かかる選手もいれば、もっとかかる場合もあります。そういう選手に一軍で3割打つために必要な技術を教えたところで、のれんに腕押し。個々の選手がどの段階にいるのかを見極め、野手なら必要な打席数や守備機会を与えて一つずつ課題をクリアさせる。指導はしても強要はしない。もちろんプロなので無期限というわけにはいきませんが「やる」も「やらない」も選手次第なのです。

 何も米国流の考え方が常に正しいというわけではなく、選手によっては“ド昭和”の発想による指導も有効だったりします。今や球界を代表するスラッガーとなった現楽天の浅村栄斗には、あえて“根本流”でプロの心得を説いたことがありました。

 ☆くまざわ・とおる 現姓は中村。1973年9月7日生まれ。埼玉県出身。所沢商高から91年ドラフト3位で西武入団。一軍出場はなく98年に引退。二軍用具係兼サブマネジャーとして球団に残り、2005年オフから松井稼頭央(当時メッツ)の個人トレーナーとして渡米。08年に一軍打撃コーチ補佐として西武に復帰し、日本一に貢献。二軍打撃コーチ、二軍守備走塁コーチを経て11年に一軍打撃コーチ補佐を務める。11年退団。現在は埼玉・入間市で整骨院を営むかたわら、小中学生を対象とした野球塾を運営している。