【熊澤とおる 人生100年時代のセカンドキャリア(16)】人は意思疎通を図るために言葉を使います。一方で、簡単な言葉でも双方の認識が異なるだけで理解し合うことはできません。それを痛感させられたのが、打撃時における松井稼頭央との「開く」に関する解釈の違いでした。

 打撃ではスイング時に腰を回転させるので、体を開かないことには打球が前に飛びません。だからこそ、しっかりと振り切るためには「もう少し早く開いたほうが」とアドバイスしたのですが、稼頭央は拒絶反応を示しました。なぜなら、子供のころから「開くな」「開くのが早い」と注意されてきたため「開く=悪」という固定観念があったのでしょう。

 それがテレビで野球中継を見ながら、レッドソックスのデービッド・オルティスのスイングを参考に「ほどく」と言い換えたら「それなら分かります」となった。僕は考えを変えたのではなく、使う言葉を変えただけ。「ほどく」と言ったのはたまたまですが、打撃の解釈が一致したことにホッとすると同時に、言葉で伝えることの難しさを痛感させられる出来事にもなりました。

 意外なことが功を奏したというエピソードは守備にもあります。ガムをかむリズムと相手打者が打ち、はじき返された打球に入っていくタイミングが合っていないと感じていた僕は、2006年から試合中にガムをかむことをやめるよう提案しました。ゴロ捕やスローイングといった基礎練習の繰り返しで形から作り直した話は既に紹介しましたが、ガムをやめたことで投手が投げ、打者が打ち、自分のところへ飛んできた打球に入るまでの呼吸が劇的に良くなったのです。

 脱線ついでに、個人トレーナーとしての日々の業務についても紹介しておきましょう。もちろんメインは練習のサポートや体のケアで、ストレッチやPNFによるコンディショニングやスポンジボールを使った打撃練習でフォームのチェックをしたり…。球場では練習と試合を見守り、ホームゲームなら食事の準備もします。

 食事はいわゆる“男メシ”で、多かったのは丼もの。スーパーの鮮魚コーナーで鯛の頭を見つけたりすると「捨てちゃうならちょうだい」と店員さんにおねだりして、帰ってからお吸い物にしたり主婦っぽいこともしていました。

 遠征にも全て同行し、食事の準備以外、やることは同じ。自分の分の移動便の手配や宿の予約も自分でします。西武ライオンズの二軍用具係兼サブマネジャーとしてスケジュール管理には慣れっこでしたし“駅前留学”の成果で英会話も問題なし。それでも楽しいことばかりではなく、新天地のロッキーズでは球団施設を使わせてくれなかったり、オダウドGMに至っては目も合わせてくれなかったりと、嫌な思いをすることもしばしばありました。

 ☆くまざわ・とおる 現姓は中村。1973年9月7日生まれ。埼玉県出身。所沢商高から91年ドラフト3位で西武入団。一軍出場はなく98年に引退。二軍用具係兼サブマネジャーとして球団に残り、2005年オフから松井稼頭央(当時メッツ)の個人トレーナーとして渡米。08年に一軍打撃コーチ補佐として西武に復帰し、日本一に貢献。二軍打撃コーチ、二軍守備走塁コーチを経て11年に一軍打撃コーチ補佐を務める。11年退団。現在は埼玉・入間市で整骨院を営むかたわら、小中学生を対象とした野球塾を運営している。