獣神サンダー・ライガーが気になる話題やプロレス観を語る「獣神激論」。今回は1日に心不全のため79歳で死去した、新日本プロレスの創設者・アントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)についてライガーが語り尽くす。かつて付け人も務めた師匠に対して土下座して謝りたかったこと、そしてライガーから見た猪木さんの本当にすごかったところとは――。

【世界のレジェンド ライガーが語る獣神激論(24)】猪木さんが逝ってしまわれました。実はユーチューブのライガーチャンネルで、猪木さんに会いに行こうという話があったんです。スタッフが先にご自宅にうかがって、撮影の調整をしていました。僕も対談は絶対にしたいし、猪木さんには極端な話、土下座してでもおわびしたい気持ちがあったんです。そんな矢先に、カミさんから「猪木さんが亡くなったらしいよ!」とニュースを聞いた。「え!」って言ったきり声が出なくなって…時間が止まったようでした。

 おわびしたかったというのも、僕はとにかく逆らってばかりみたいな感じだった。(2001年2月両国大会で)ホームレスの格好で出てきた時に「なんであんな格好して出てこなきゃいけないんですか」と意見したり、サンゴの移植でパラオに行った時に「レスラーは向こう行ってていいよ」と言われたから、そこでケツ出してふざけてたら、猪木さん、怒髪天を衝くみたいなことがあったりね…。蝶野(正洋)選手がホテルの部屋に電話してきて「猪木さんものすごい怒ってるけど海岸でなんかしたの?」って心配してきたくらいだから(苦笑)。

 風車の理論や環状8号線の理論も「なんだそれ?」みたいな感じでいたから、本当に出来損ないの息子だよね…。でも今は猪木さんの言ってたこと、やってたことが全部僕なりに理解できる。ファンは黙ってても見てくれる。でも世間はそうはいかない。じゃあ、どうすればいいんだって。常に世間と闘っていたんだね、あの人は。俺はその猪木さんがつくってくれた新日本プロレスというテーブルの上でワイワイ騒いでただけ。まさに孫悟空とお釈迦様だよね。

 猪木さんはあまりにもデカかった。しばらく新日本とは距離があったけど、僕の引退セレモニー(20年1月)で約14年ぶりにVTRで登場してくれた。あれは本当に驚きました。猪木さんには嫌われてると思っていたんです。いつも「山田、あのヤローは!」って言われていたので。ん? 山田って誰だ? まあいいでしょ、今日は。

 やっぱりそこも、猪木さんの器の大きさなんでしょうね。あえてここで名前は出さないけど、多くの人たちが移籍したり退団していった。でも猪木さんは「川は何本にも分かれるけど、最終的には海に出るんだ」ってサラッて言ったもんね。この人すっげえって、さすがに思ったよね。

 最後は難病に冒されながらも「俺を撮れ」と。人は必ず死ぬ、その死にざまを見てもらえば結構じゃないかなんて、普通言えないよ。でもね、俺らから見たら「猪木さんがやせた」「猪木さん大丈夫?」だと思うけど、同じような病気でベッドに伏せておられる方々からしたら「猪木さんが頑張ってるじゃん」「俺らも頑張んなきゃ」って勇気を与えたと思うんだよ。猪木さんは360度を見渡してるんだよね。最後の最後まで勇気、元気を与えていたと思うよね。ある意味で神様だよ。

 勝手な言い分かもしれないけど、猪木さんはやっぱり新日本プロレスのリングが一番似合ってると思ってるから。形はどうあれ、最後にもう1回リングに上がるところを見たかったし、お会いして直接おわびもしたかった。

 やっぱり新日本プロレスは猪木さんがつくられた団体で「闘う魂」。それを忘れちゃダメだよね。猪木さんはレスラーたちと闘った、世間と闘った、病魔と闘った。怒りを忘れちゃダメなんだってことを胸にしまって、今の選手たちにもレスラー道を歩んでほしいと思う。

 最後に猪木さんに…バカ息子でどうもすみませんでした。今、やっとこの年になって、猪木さんに言われたことが分かります。僕なりにこれからの人生を戦って、頑張って生きていきます。