ノアのGHCナショナル王者・船木誠勝(53)が、1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)との思い出を振り返った。1984年に新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少(当時)でデビューした船木にとって、師である猪木さんは父親のような存在だった。総合格闘技の世界へと戦いの場を移してもなお、心の奥底にずっとあるという猪木さんの教えと温かさとは――。

 師匠の訃報を受け「もう、だいぶつらそうだったので、あと10年はないと思っていたんですよね。でも、本当に逝っちゃったなんて…」と肩を落とした。

 初代タイガーマスクのファンだった船木は14歳で新日本プロレス道場の門を叩き、面接で猪木さんと初めて触れ合った。「『裸になれ』って言われて『背中のここが曲がってるな』って。『なんなんだよ』って思いましたよ」と振り返る。「でも、ものすごい大きな温かさを感じた。自分は父親を早く亡くしているので、大人に触れる機会がなかった。猪木さんは父親のような存在ですね」と目を細めた。

 3度目の入門テストで合格し、当時最年少の15歳でデビューを果たした。41歳だった猪木さんから何かと気にかけてもらっていたという。「ちゃんこを食べている時に、頭の上で鼻くそをかけるフリをしたりもしてましたね」と、ほほえましいエピソードを明かした。

 一方で、プロレスの厳しさも教えてもらった。「デビューして半年がたったころ、1週間毎日怒られていた。試合中に猪木さんの怒鳴り声が聞こえてきて、終わった後『今の試合は何だ!』って。やったら怒られるから試合するのが嫌で嫌で」と苦笑。

 ただし、猪木さんは励ますことも忘れなかった。「弱気な顔をしていると『何だ、お前は! お客さんは元気をもらいに来ているから、お前が元気じゃないといけない』と言われてきた。だから自分も元気でいます」と〝遺志〟を受け継ぐことを誓った。

 亡くなった日から猪木さんとの写真を見返し、しのんでいるという。「ゆっくり休んで見ていてください。そしてたまには鼻くそを上からかけてください。食べます」と天を見つめ笑った船木。GHCナショナル王者として10月30日の有明アリーナ大会で桜庭和志とGHCマーシャルアーツルール(KO、TKO、ギブアップで勝敗を決める)で激突する。王座を守るため、誠心誠意戦う姿を猪木さんが天国から見守っているはずだ。