【プロレス蔵出し写真館】まだゴングが鳴る前、猪木は〝得意〟の奇襲攻撃を敢行した。コールを受けると、ガウンを羽織ったまま蝶野に延髄斬りを狙ったのだ。蝶野はバックステップしてこれをかわしたが、観客は一気にヒートアップした。
これは、今から32年前の1990年(平成2年)2月10日、東京ドームで行われた猪木&坂口征二VS橋本真也&蝶野正洋戦の一場面。
この試合は、試合前のテレビのインタビューがのちに関係者やファンにバカ受けし、〝伝説〟となったことでも有名だ。
テレビ朝日の佐々木正洋アナが猪木に「もし負けるということがあると、これは勝負は時の運という言葉では済まないことになりますが…」とマイクを向けると、2秒間の沈黙後「出る前に負けること考えるバカいるかよ」と怒声とともに、猪木の強烈なビンタが飛んだ。そして「出てけ! こら!」。
中継が切り替わり、橋本が「時は来た。それだけだ」。後に蝶野は、噴き出しそうになったと明かしたが、画面でも必死でこらえる様子がありありだった。
参議院議員で公務が多忙な猪木は、前年の12月31日(モスクワ)以来の試合。そしてタッグパートナーの坂口にいたっては、前年4月18日以来となる298日目の実戦だった。
橋本は容赦なく猪木、坂口を蹴りまくった。特に猪木には、強烈なローキックを見舞いダメージを与えた。非情にシビアな試合となったが、猪木が蝶野に延髄斬りを決めて勝利した。しかし、若い2人に対し、いいところなく押されまくった。
試合後、猪木は「橋本と蝶野。もう今日は立っているのがやっとでした。本当に強くなりました」とマイクで本音を吐露するほど。
改めて、この試合のネガを見直すと、興味深いカットを発見した。取材していた現場では気づかず、テレビ放送でも写っていない場面。それは、猪木が蝶野に奇襲を仕掛けた場面だ。
橋本はそれにはまったく目もくれず、一点を凝視して微動だにせず(写真)。〝当然、猪木さんならやってくるだろう〟と予測していたかのような落ち着きぶりだ。
まさに泰然自若。憧れの人・猪木と対戦できるという思いや決意が伝わってくる一枚ではないだろうか。
さて、92年12月10日、橋本は国会審議中だった猪木を訪ね、翌年1月4日の東京ドームでのタッグ結成を直訴した。
猪木からは「将来プロレスを背負っていかなければならない男。今は壁に当たっているが、乗り越えてもらいたい」と檄を飛ばされ、タッグ結成が了承された。橋本は、猪木から1枚の色紙を届けられていたと明かして披露した。
色紙には「橋本真也君 将トハ智、信、仁、勇、厳ナリ」。孫子の兵法がしたためられていた。猪木から期待されているのがわかった。
この師弟タッグは猪木が足首を負傷し、実現しなかった。橋本は「勝手に持ってきた」と猪木の赤いガウンを着てドームに登場。〝猪木愛〟を貫いた。
まさか6年後(99年1月4日)の東京ドーム・小川直也戦で、猪木から非情な〝仕打ち〟を受けるとは思ってもいなかったろう。試合後「何がアントニオ猪木だ! 許さないぞ! アントニオ猪木」。橋本の絶叫が響いた(敬称略)。













