1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)は1976年6月、東京・日本武道館でボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリと「世紀の一戦」に臨んだ。いわゆる〝猪木アリ状態〟のままで3分15ラウンドを戦い切り、当時は凡戦とも評されたが、猪木さんとアリの格闘家としての意地とすごさを目撃していたのが、日本レスリング協会名誉会長の福田富昭氏(80)だ。異種格闘技戦初戦の相手、柔道五輪2冠の〝赤鬼〟ウィリエム・ルスカの代理人も務めた同氏が当時を振り返った。
1976年6月26日夜。福田氏は、東京・京王プラザホテルのロビーでプロレス関係者と談笑していた。すると、猪木さんとの試合を終えたばかりの話題の人物が、意外な状態で姿を現したという。
「アリが車から出てきたのです。フラッフラで関係者に両脇を抱えられてホテルに入ってきた。脚が痛そうで、とてもじゃないが一人で歩けない様子だった」
世界が注目した一戦は、アリのパンチを避ける猪木さんがマットに仰向けになった状態、後の格闘界で「猪木アリ状態」と呼ばれる体勢で、ボクシング世界王者の脚を蹴り続けた。当時は世紀の凡戦などと批判する声もあったが、試合後のアリの様子から福田氏は「猪木さんの蹴りは相当の威力に違いないです」と語る。
一方で、アリの意地も感じた。「さすがだなと思ったのは、ロビーで人が自分を見ていることに気がつくと、アリはパッと抱えられた手を離したんです。なんとか一人で歩き出して、ソソソっとエレベーターに乗り込みました。恥ずかしい姿は見せられないと。プロの意地ですね。あの一戦は2人の意地がぶつかったすごい試合だったんです」
実は、福田氏はアリ戦を含めた猪木さんの異種格闘技戦シリーズ初戦の相手、ルスカの代理人を務めた人物だ。東京五輪の64年、日大レスリング部に所属していた福田氏は、隣の日大柔道部道場に出稽古に来たルスカのあまりの強さに驚がく。持ち前の社交性で赤鬼に握手を求め、友人になった。
ルスカは72年ミュンヘン五輪の重量級2階級で金メダルを獲得。その後、レスリング界と縁があった新日本プロレス側から「世界一強い男は誰か」と打診され仲介したことから、ルスカの代理人に。猪木戦を決意した友人をサポートし、来日後は講道館や日大道場での練習をアレンジするなど、注目の一戦の手助けをした。
「ルスカは当時、奥さんが病に倒れ、海外では莫大な治療費がかかるのでお金を稼ぐ必要があったと思います。でも猪木さんを潰そうと決意し来日していました。一方の猪木さんも人気絶頂で絶対に負けるわけにはいかなかったと思います」
その後も日大の後輩である谷津嘉章の新日本プロレス入りなどで、猪木さんとはことあるごとに顔を合わせた。プロとアマチュアの違いはあれど、レスリング発展のために尽力した両者。福田氏は「猪木さんは芯は強いが、いつも優しさを前面に出す方でした。何というか憎めない人柄でね。最後まで闘う姿勢を人々に示したのではないでしょうか」と静かに故人をしのんだ。












