プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(本名猪木寛至=享年79)が1日に心不全のため死去し、日本中が深い悲しみに包まれている。数々の伝説を残した〝燃える闘魂〟は、歴代の番記者たちにどう映ったのか。猪木さんの「秘話」を振り返る第2回は、1993年から98年の引退試合まで新日本プロレスを担当した記者が思い出を記す。
【さらば燃える闘魂2】
猪木さんの〝得意技〟の一つとして知られるのが、ダジャレだ。記者がプロレス担当になったとき、猪木さんはすでに国会議員として活動しており「燃える闘魂」の試合を取材した数は限られるが、取材を通じて数々のダジャレを直に聞くことができた。
正直言うと半分くらいは「しょーもない」という思いをしまい込んで愛想笑いで誤魔化していたのだが、中には秀逸なものもあった。
もっとも印象深いのが1998年の引退試合直前に米国で聞いたオヤジギャグだ。同年4月4日に行われる引退試合の1か月ほど前、猪木さんは弟子の小川直也らを従えて米国合宿を敢行。これに同行取材させてもらった。
猪木さんの最後の相手を決めるトーナメントにエントリーしていた小川は最大の宿敵、ドン・フライ対策として猪木さんとともに米国のいくつもの格闘技道場を訪ね、腕を磨いた。
そんなある日、猪木さんが唐突に言った。「近くにバンジージャンプがあるらしい。今日の小川の練習はバンジージャンプだ。度胸を磨くぞ、分かったな」
小川は「マジですか…。高いところはちょっと…それだけは勘弁してください」と必死に断った。そんな愛弟子に猪木さんはこう続けた。「フフフ。安心しろ。飛ぶ直前に俺がこう言って止めるから。
『ドン(ト)・フライ!』(飛ぶな)」
なんともタイムリーなネタで、腹の底から笑えた。
小川はそのトーナメント準決勝でフライにまさかの敗北。師匠の引退試合へ〝飛ぶ〟ことができず、猪木さんのラストマッチの相手は結局、フライが務めた。猪木さんとフライにはほとんど接点がなく、この人選には拍子抜けしたファンも多かったはずだが、こうなることを暗示していたかのようなダジャレに思えてならない。
とにかく、「この道を行けば~」の詩を残して東京ドームの花道を去って行く猪木さんの後ろ姿と、小川に「ドン・フライ!」と言ったときの自慢げな笑みは一生忘れないだろう。合掌。(元新日本プロレス担当・楠崎弘樹)












