新日本プロレスの棚橋弘至(45)が、1日に心不全のため79歳で亡くなった団体創設者・アントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)への思いを明かした。

 棚橋は猪木さんの訃報を現在遠征中の英国・ロンドンで聞いた。1日(日本時間2日)に行われたロンドン大会では試合前に猪木さんの追悼セレモニーが行われた。追悼の10カウントゴングが鳴らされると英国のファンからは「イノキ」コールが起きた。国際電話で本紙の取材に応じた棚橋は「なんかもう、喪失感がハンパないですね。猪木さんがいてくれることがプロレス界にとって心強いことだったので」とショックを隠し切れなかった。

 伝説の〝猪木問答〟(2002年1月、札幌)においても、当時団体のホープだった棚橋は「俺は、新日本のリングでプロレスをやります!」と敢然と言い切った。暗黒時代と呼ばれた2000年代の新日本を建て直すためには、大きな変化が必要だった。その中心にいたのが棚橋だ。07年には道場に飾られていた猪木の特大パネルを外した。かつての熱狂的なファンである「猪木信者」からブーイングを浴びる役目を引き受けてでも、新たな時代の突入を目指した。

「『脱・猪木』の急先鋒でしたね。猪木さんの創った新日本なんですけど、いつまでも虎の威を借る狐ではやっていけなかった。あの時パネルを外したことも間違ってないと思ってますし、だからこそ今の新日本プロレスを見て欲しかったですね。猪木さんが目指したプロレスと今は違うかもしれないけど、お客さんが喜んでいる表情を見てもらいたかったです」

 棚橋が目指したのはそれまでの「一寸先はハプニング」に代表されるスリリングでスキャンダラスなプロレスではなく、女性や子どもまで誰もが楽しめて「また会場に来たい」と思わせるハッピーな空間だった。棚橋のみならず多くの選手・関係者が再建に成功した新日本の会場を猪木さんに見てもらいたいと願っていたが、それは最後までかなわなかった。

 もちろん創設者の猪木さんへの感謝を忘れたことはなく、新日本をこれからも発展させていく決意だ。棚橋は「ありがとうございましたしかないですね。猪木さんだったら『俺が亡くなったこともパワーに変えてみろ』と言ってくれそうですし。『元気ですか!』という言葉が印象的だったので、『新日本プロレスは元気です!』とお伝えしたいです」と、受け継いだ闘魂を燃やしていた。