邪道・大仁田厚(64)が、6日に死去したプロレスラーで空手家の誠心会館館長・青柳政司さん(享年65)を追悼した。
7日朝に訃報を聞き「昨年の8月に大阪で戦ったばかりで、まさか亡くなったと言われても…。なんかさあ、俺の周りからどんどん人がいなくなっていくから寂しいな」と声を落とした。
青柳さんとは1989年7月の「格闘技の祭典」(後楽園ホール)で行われた異種格闘技マッチで対戦。その再戦の舞台となったのが、大仁田率いるFMWの旗揚げ戦となった同年10月6日の名古屋大会だった。
「格闘技の祭典を見た人が(FMW旗揚げ戦の)チケットを買ってくれ、満員になった。僕の成功というか、FMWの成功は館長のおかげ。館長がいなかったら、僕は世に出てなかった。ある種、僕の原点ですよ」と振り返る。
2015年5月に青柳さんはバイクでツーリング中、スポーツカーと激突。意識不明の重体で病院に搬送され、右ヒザから下は30か所の粉砕骨折を負った。
大仁田は入院中の青柳さんをお見舞いしたことがあった。「『館長、大丈夫?』と聞いたら『大丈夫、大丈夫。そのうちプロレスのリングに上がるからさあ』と言っていて、その後に本当に戦うことになったから驚いたよ」。大仁田7度目の引退となった17年10月、青柳さんは電流爆破のリングで復活し、盟友の引退ロードに花を添えた。
「おおらかな人でしたね。空手家なのにプロレスをこよなく愛していた。僕が火をつけたというのはある。人を育てるタイプだから、プロレスのリズムに合わせることができる。だからプロレス的なセンスがあったんじゃないですか」(大仁田)
8日に通夜、9日に葬儀が愛知・豊田市内で営まれる。大仁田は「お悔み申し上げますというのは、本人の顔を見て言いますよ。お通夜で線香をあげにいこうかなと」と語り、静かに哀悼の意を示した。