【長嶋清幸 ゼロの勝負師(37)】2009年から韓国プロ野球、サムスン・ライオンズの打撃コーチになった。指揮官は国民的スターの宣銅烈。たまたま知り合いが監督と仲が良くて「日本にいい打撃コーチはいないか」と探しているという。正直、韓国の野球に興味はなかったけど、中日で活躍し、日本野球を知る宣銅烈監督が日本の指導者を認めている。これは仕事の場があるんだなと感じ、それで決めた。

 本拠地のある大邱(テグ)は、住みやすくて昔の日本みたいなところ。韓国第3の都市と言われる都会なのに、街の雰囲気や人がタイムスリップしたみたいな。広島時代に、ある韓国系の選手が「韓国は朝から晩までキムチ。俺には無理だ」と言っていたのを覚えていたんだけど、俺はすぐにそういう生活になじみ、朝も晩もキムチを食っていたよ。独特のうまさがあった。

 野球人口が日本より少ない中、体のでかい選手が多い。俺は俺の接し方でやるしかないし、かといって厳しくする必要もなければ、それぞれ同じ教え方をするわけでもない。ただ、一つだけ徹底させたのは「低めのストライクゾーンから下は我慢しろ」。振るなと言うと、今度はストライクゾーンに手が出なくなる。これは岡田彰布監督の考えでもあるんだ。その代わり、高めは少々ボール球でも打っていい。ティー打撃をするのも胸より上を意識させた。

 韓国はデータの作り方が雑だった。ミーティングの材料をナイター後に朝の4時、5時までビデオを見ながら全部俺が作った。1年間で3年分、こんなにしたことがないっていうくらいに仕事をした。細かいとかではなく、みんなが納得できるかどうか。この投手の低めのボール球を昨年、どれだけ振ったか。ここを振るからここに投げてくる、ということが分かっていない。面倒くさがりが多いから納得させないと動かない。中にはマジメで休みの日でも教えてくださいと言ってくる選手もいたけどね。

 宣銅烈監督は「全権を長嶋さんに任せる」と言ってくれた。監督は絶対的な存在なので、他のコーチはいっさい俺のやることに口を出さない。監督の雰囲気は…落合博満さんによく似ていた。指導はコーチに任せ、何か話があるときは監督室で通訳を通していろんな話をしてくれる。

 その年は投手陣が崩れてチームは5位だったけど、前年と比べて打つほうは全体的に底上げができて、監督は翌年も俺にやってもらおうと思ってくれていた。その年の6月か7月ごろ、広島時代の先輩の高橋慶彦さんから電話をもらっていた。「マメさー、今度、ロッテの二軍監督をやるんだよ。給料はあんまり出せんけど、(コーチを)考えといてよ」って。

 早くいい返事が欲しいというのは分かっている。日本でまた呼んでもらえるのはありがたいし、でもこっちの監督も期待してくれているし…。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。