【長嶋清幸 ゼロの勝負師(36)】中日コーチ時代は落合博満監督から信頼してもらっていたと思う。監督に「お前、どう思う?」と聞かれ「こう思います」と言っていたら、だんだん俺の意見が通るようになっていった。そうなると年上のコーチは面白くないだろうし、変な空気になっていく。

 福留孝介が5月まで打率1割台の絶不調だった時、首脳陣で処遇について話し合ったことがあった。「二軍に落としたらどうか」の声がある中、俺は「あれだけの実績あるのに二軍に落とすなんてありえない。まだ5月だし、ケガじゃない。特打をやらせればいい」と意見したら、落合博満監督は「それならそうしよう。マメ、お前が特打を見てやれ」と。孝介はしっかりやって結果を残したんだけど、俺の意見が採用されたわけだから他のコーチは面白くはないよね。

 2006年オフ、3年間在籍した中日から契約しないと伝えられ、落合さんに電話したら「理由は言えない。墓場まで持って行く」と。その時は納得はいかなかったけれど、後年、落合さんは森繁和さんに「マメには悪いことをした。今度また球団に関わる時はまたマメを呼びたい」と言ってくれていたらしい。もうね、それで十分だよ。

 監督になる人は年俸1億円じゃ安いって思う。野村克也さん、岡田彰布さんなんかは嫌なことは全部口に出すタイプで、落合さんは出さない。のみ込んで1人で暴れる(笑い)。試合の中でのミスを責めないし、だから余計に次の試合で修正できるよう俺らもやるし、信頼関係ができている。なんでこうしなかったか?を問うより、同じことを2度、3度やらないでおこうという考え方。

 あれやれ、これやれじゃなく、選手を見て、足りない部分をコーチが感じ取る。監督が笛を吹くわけではない。客観的に野球を見て、失敗しても「こういう時もある。尾を引かないように切り替えてやろう」って。腹の中は煮えくり返っていてもね。細かいことはコーチにすべて任せ、自分はオーナーや球団側とチームが力を発揮できる環境づくりを話し合う。落合監督から野球論を聞いたことなんかなかったよ。

 でも…ベテラン選手には冷たかったかな。どれだけすごい選手でも年を取ると動きが狭くなってくる。立浪和義も山本昌もあの扱いに自分の中で辛抱、我慢したと思う。俺は2人とも仲良かったから先輩として話していたよ。俺なんかが立浪に言うのはおこがましいけど、あれだけ野球に情熱のある選手が冷遇されるのはかわいそうだし、嫌だなっていう思いもあった。もう一度、体を締めて頑張ろうやってね。後に立浪が「ありがたかった」とか言ってくれて、うれしかったね。

 現役時代から着続けたユニホームを脱ぎ、野球を外から見つめた。そして、新たな指導の場として韓国を選ぶことになった。決め手はあのスーパースターの存在だった。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。