【長嶋清幸 ゼロの勝負師(11)】 高橋慶彦さんには長きにわたってお世話になってきたけど、頭を抱えてしまった“事件”があった。現役引退後の2010年、慶彦さんがロッテの二軍監督で、俺が二軍打撃コーチだったころ。その年はロッテが4年ぶりにイースタン・リーグを制し、新潟で阪神とのファーム日本選手権に臨んだ。

 試合前夜、宿舎で夜中にある選手がテレビをつけっぱなし、ドアを開けっぱなしにしていた。そいつは監督の向かいの部屋。そこに監督が酔って帰ってきてブチキレて、全選手をエレベーターの前に集合させたんだよ。俺より年上のコーチもいるのにマネジャーが部屋に飛んできて「監督がキレています。何とかしてください!」って。勘弁してよって(笑い)。

 二軍監督、二軍コーチとして一緒になって、そこでも慶彦さんを男にしなきゃと思っていたし、それができた。ただ、監督に賛同する中でも「監督、それはちょっと違うよ」って言える人間も必要と思っていたし、それが自分しかいなかった。チーフコーチの袴田英利さんも「それはマメしかいない」ということで、その夜の騒ぎも「マメにやらせえ」ってなった。

「なんなんだよ~」と思いながらエレベーター前に行ったら、全員正座している。深夜1時、人の目もあるし「監督、ここはこらえてください。とりあえず明日話をして、監督のところにわびを入れに行かせますから」って説得し、部屋に連れていってなだめ、何とかその場を収めた。

 監督は「全員、いらん!」なんて言ってたけど、翌日は結局、選手を代えなかった。ファーム選手権はこの1試合しかないから俺は選手に「寝不足とか言っている暇はない。この1試合を勝てなかったら、やったことを後悔する。今日だけは気持ちを集中して頑張ってくれ。その代わり、今から監督のとこに頭下げに行くぞ」と言って謝りに行かせ、試合でも阪神に競り勝って日本一になれた。前夜は大変だったけど、監督を男にできた。

 人間誰しもいいところも悪いところもある。広島時代も慶彦さんにはかわいがってもらっていたけど、小早川毅彦とか同級生の正田耕三とかに厳しく当たることもあった。「空気吸うな!」「水飲むな!」とか…それはないわ(笑い)。コーチでもないのに、そんな言い方しなくてもいいのにって思っていたよ。慶彦さんからすれば、よかれと思っていたかもしれないし、厳しく言ったほうがいいタイプと思っていたのかもしれない。だから尊敬はしていても、あんまり尊敬している感じを出さないようにしているよ。

 慶彦さんも俺に対していろんな思い、言いたいことがたくさんあると思う。なのに一切、俺のことは悪く言わないんだ。それは俺という存在を認めてくれているからだと思う。そこは感謝しているし、ありがたいと思っている。今もユーチューブのゲストに呼んでくれるしね。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。