【越智正典 ネット裏】北海道の7月は一年の中で、いちばん美しい季節である。札幌では6月15日から北海道神宮の例大祭で、町々に祭礼提灯が飾られ、屋台もにぎやかだがまだ寒い。7月になるとニレの木々が枝葉を伸ばし、緑が色濃くなる。札幌は「エルムの森の都」になる。
1994年、中日との巨人北海道シリーズ第1戦、7月12日の朝、巨人の遠征の宿、大通公園の札幌後楽園ホテルは和食と洋食をそろえていた。松井秀喜の巨人入団2年目、一軍第1年である。
和食はごはん、おかゆ、新香、みそ汁、焼き魚シャケと「春告魚」ニシン、煮物、塩辛、いくら、玉子、温泉玉子、伊達巻、のり、納豆、ホウレン草のおひたし、日本茶。同ホテルにとって巨人は上得意に違いないが、夏がうれしくて総力をあげている。
洋食はトースト、クロワッサン、玉子料理オムレツ、目玉焼き、スクランブル、フライドポテト、ポテトグラタン、果物メロン、グレープフルーツ、スイカ、オレンジ、コーヒー、紅茶、ミルク、オレンジジュース、グレープフルーツジュース、トマトジュース。
責任者が巨人ナインの朝ごはんが始まったのを見届けると、ホテルマン10人が車にバスタオルを50枚積んで円山球場に向かった。球場では巨人ベンチ奥の控え室で、寝坊をして朝ごはんを食べられなかった選手のためにソーメン、カレーライス、ハヤシライス、おにぎりの用意を始める。ファンが知ったらびっくりするだろう。大事な試合当日に寝坊するなんて「あづましくない」(北海道方言で「居心地が悪い、落ち着かない」の意)。
試合開始は午後2時。選手が球場に向かうバス1号車は8時20分発、2号車は9時。松井は長さ180センチの赤いマスコットバットを握りしめて1号車に乗車した。ゴジラくんは星稜高校時代、長いバットを振ってみて内角球対応の研究などしていない。しなくても飛ばした。高校球界では、母校宇都宮工業の監督を引き受けた時に猪瀬成男が選手に長いバットを持たせて振らせ「このままだとバットが遠回りをして出ていくよね。これではインコースの球は打てないよね。そう、そう。腕をたたんで打つといいよね」。
猪瀬成男は59年夏の全国高校野球選手権、第41回大会の決勝で延長15回、宇都宮工が2―8で西条に敗れたときの全軍指揮のキャッチャーである(60年、投手大井道夫とともに早大、のちに栃木県上三川町町長)。
松井は第1戦の夜、スポーツ報知のカメラマンの勧めにうなづいて、ススキノへは行かないで北海道大学の正門そばの居酒屋の2階で、来道したご両親と会っていた。ヤキトリを一、二串口にしただけで、ほとんど食べなかった。体重が増えないように節制していた。
巨人の北海道遠征の前の宿舎、北4条西4丁目の東急ホテル(現駐車場)の巨人担当、東海四高、道都大学の中心選手、門伸樹(現JRタワーホテル日航札幌のチーフ)は「当時、夜はみんなススキノへ繰り出していきましたが、王貞治監督には感激しました。教えられました。試合から帰ってくると山手養護学園へ毎年(巨人入団2年目の60年から)慰問に行かれました」。 =敬称略=












