【久保康生 魔改造の手腕(29)】プロ入りした1977年から21年の現役、14年のコーチを経て初めてNPBと距離を置いたのが、2011年のオフでした。真弓監督の退任とともに阪神を退団。新しい可能性を模索するため、米球界に照準を合わせました。
2月半ばに関係者を通じアリゾナキャンプのパスを手配してもらい現地入り。アメリカの球団とのコーチング契約を目的に水面下で動いていました。
そうすると、ジェフ・ウィリアムスとジェイソン・スタンリッジが心強いアシストを申し出てくれました。
「クボがアメリカで活動するなら、俺たちが推薦文を用意する」
そう言って英文で実際に文書を作成し、ゆかりのある球団に連絡を取ってくれました。その文書の原文は今でも自宅に大事に保管してあります。
文面には久保という投手コーチはどういう姿勢で選手と接し、どういった人間性を持っているのか。その指導をもとに、自分たちが選手としてどう改善されていったのか。アメリカでコーチとして活躍することを確信しているといった内容を書いてくれていました。
野球の本場を熟知する彼らが、NPBのコーチに推薦文を書くなど珍しいことだと、米球界事情に詳しい方々から聞きました。ジェフ、ジェイソンの2人の気持ちが非常にありがたかったです。
彼らの手助けもあり、西海岸の名門、ロサンゼルス・ドジャースと話がうまくまとまるところまできていました。原石の宝庫である米球界での活動を楽しみにしていました。
ところが、11年に経営危機となっていたドジャースが12年3月にオーナー交代という事態に。経営陣が代わってしまうというタイミングで、もともとの話は振り出しに戻ってしまいました。
結局、6月からアメリカで活動を開始してもいいとの回答でしたが、条件としては厳しいものでした。球団からIDを発行され、自由に行動することは許されました。しかし、肝心のコーチングをできるわけではない。これでは思い描いた動きができないと判断し5月の時点で方向転換を余儀なくされました。
5月下旬には長男・圭のプロゴルファーとしてのデビュー戦も控えていました。プロとしての1試合目はキャディーバッグを担ぐと約束していました。大学2年まで野球をしていた長男が8年かけて、ようやく11年にプロテストに合格。こういった動きもこのタイミングでしかできない貴重な機会でした。
そんな折に、以前から熱心に声をかけてくれていた韓国リーグの斗山ベアーズから、コーチ就任オファーへの返答を待ち続けていると連絡をいただきました。もともと、近鉄時代の先輩でKBOでもプレーを経験している石山一秀さん(三星ライオンズで新浦壽夫とバッテリー)の仲介もあり、受諾することに決めました。
本当にバタバタでした。6月1日から行けますと返事をして、妻とともに韓国に飛びました。言葉ももちろん分かりませんし、私たちにとって未踏の地でした。
ポストは一、二軍の巡回コーチということで、とにかくすべての投手を見てほしいということでした。シーズン途中からでしたし、臨時コーチ的な立場です。そこから6か月間、初めての韓国での生活となりました。ほんのわずかな期間なのですが、あんなにたくさんのドラマが待ち受けているとは予想だにしませんでした。












