悪魔仮面”ことケンドー・カシンは2022年9月21日でデビュー30周年を迎える。「なにが30周年だ。いつ失業するか分からない人間に祝い事などの話など失礼極まりない」と、とりつくしまもない。ところで現在、東スポWebのnote上で2万字以上に及ぶ連載「東スポとケンドー・カシンの30年」が掲載されているので、ぜひご一読ください。

 さて、カシンの長いキャリアで名勝負と呼べるベストバウトはどの試合か。1999年8月に神宮球場で金本浩二からIWGPジュニアヘビー級王座を初奪取した試合、01年10月東京ドームで成瀬昌由の「石澤常光で来い」という要求に応じて素顔でサプライズ登場。わずか26秒、飛びつき式腕ひしぎ逆十字固めで王座奪還した試合、格闘技では01年7月さいたまSAのハイアン・グレイシーとの再戦など数えきれない。

 しかしここは“世界最高のプロレスラー”ことカート・アングルと日本人として初めて戦った試合(IGF07年12月20日有明コロシアム)を挙げたい。

 直前でブッカーTが来日不可能となり、サイモン猪木氏の要請によって緊急参戦が実現した。相手はWWEのトップスターで元五輪金メダリスト。しかも06年は総合格闘技に専念していたカシンにとっては、これが実に約2年2か月ぶりのプロレス復帰戦となった。緊急登板は日常茶飯事で「俺は常にリザーバーだから仕方ない」と自嘲するも、常にトレーニングを怠っていないことの自信の裏返しでもあった。

 カシンは立会人の“白覆面の魔王”ことザ・デストロイヤー氏を見つけると「マスクを脱げ」と恐れ多い挑発を放つもゴングが鳴ると、白熱の技術戦が展開された。場外でのイス攻撃を魔王に制止されると、十八番の飛びつき式腕ひしぎ逆十字固めを鮮やかに決めてみせる。

 逆にカートはジャーマン3連打から五輪スラムを一気に爆発させる。とても初対決とは思えない「手が合った」攻防だった。最後はリングサイドのデストロイヤー氏を指さすと足4の字固めから、2度にわたるアンクルロックでカシンからタップを奪った。わずか9分52秒だったが、バックや腕の奪い合いなど地味ながら高度な技術が凝縮された濃密な時間だった。

 当時、カシンは「細かい内容は企業秘密だ。ただカートはファイターの顔をしていた。それに比べ解説席でニヤけていた永田君はファイターの顔をしていなかった。あれじゃ100%、カートに勝てない」と毒づいた。永田は翌年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会でカートと対戦する予定だった。

 最近になってカシンは「組んだ瞬間、その強さが伝わってくるんだ。力とかはもちろん違うんだが、プロレスのうまさも違った。攻められた時に相手に身を委ねるといううまさとでもいうのかな」と語っている。結局、永田裕志はドーム決戦で日本人で2人目にカートと対戦したが、アンクルロックに屈した。

 総合格闘技からIGFでは直前の試合決定が多かったカシンだが「リザーバー」というよりは「いつ何時どこでも誰とでも戦う」という師匠アントニオ猪木氏の教えを忠実に守り、試合がない時でも常にトレーニングを欠かさず「出陣態勢」を整えているからこそだった。世界一のヘソ曲がり男、悪魔仮面と呼ばれるカシンだが、猪木イズムを継承していることを証明したカート戦だった。(敬称略)