由伸巨人に、あの名伯楽が電撃入団を果たした。前楽天一軍打撃コーチの田代富雄氏(61)が、新設の二、三軍の「ファーム巡回打撃コーチ」に就任することが先日、球団から発表された。大きな波紋を呼んだ“楽天退団騒動”から約3か月。本紙はかつての宿敵のユニホームに袖を通すことを決断した同氏を直撃。例の騒動から現在に至るまで“オバQコーチ”が飾らない言葉で胸の内を明かした。

 ――まずは現在の率直な心境を

 田代コーチ:またユニホームを着るチャンスをもらって、本当にありがたい。それだけだね。

 ――今季途中に楽天の一軍打撃コーチを辞任した一件は反響を呼んだ

 田代:あのときは確かにいろいろあって大ごとになってしまったけど、俺自身は、そんなにどうこう言ったつもりはなかったんだけどね。ただ言っておきたいのは、あのとき一軍から二軍に行けと言われた時点で、潔くユニホームを脱ぐべきだと思ったということ。俺の考え方では、だけどね。

 ――三木谷オーナーの現場介入が退団を決意した理由と言われた

 田代:まあ、その話はもういいじゃねえか(笑い)。過去の話はもうさ。前を向いているんだよ。

 ――決断に後悔はない

 田代:それは全然ねえな。やっぱりコーチ業ってのは、どんな理由であれ、選手を守れなかったり、育てられなかったら、責任を取らないといかんわな。ただ(辞めてからは)不安はあったよ。自分の生活はしっかりしないといけないし、以前はラーメン屋もやったけど…。正直、今度はどうしようか…という気持ちはあった。それでもコーチ業ってのは、しがみつくもんじゃねえからよ。

 ――楽天時代は星野副会長との縁が深かった。巨人入りの報告は

 田代:確かに星野さんには世話になった。ずっと心配していただいていたし、巨人から電話をいただいたときには、すぐに連絡しました。「そうか、良かったなあ」と言っていただきましたよ。

 ――セでは、今も“横浜の田代”というイメージが強い。古巣ベイファンの間では復帰への期待も高まっていたが…

 田代:そりゃあ、横浜には愛着はある。思い入れは強いよ。ただ、ユニホームを着るとなると、別の話。俺たちの仕事というのは、望まれて就くものだろう? こっちから売り込んで…という仕事とは違うと思っているんだよ。(横浜時代に)監督代行や二軍監督をやっていたときも「コーチはいろんな球団に呼ばれるように自分を磨けよ」と話してきたしな。

 ――新天地となる巨人のイメージは

 田代:俺の子供のころはやっぱり長嶋さん、王さんの時代。この世界に入ってからも、あの方たちとは、まともに話せないんだ。年を重ねてからは、巨人戦はお客さんも入るし、自分が打てば新聞の1面になる。そういうのは励みだったし、反骨心を奮い立たせてくれる対象だったよね。

 ――では現在の巨人の選手に対する印象は

 田代:以前はFAで4番打者ばかり獲っていたけど、今はこぢんまりしているイメージはあるな。「同じようなタイプばかりいるな」というね。大田とか、いい素材は何人かいるんだけど…。

 ――その大田や岡本、中井ら、右の大砲育成への期待も高い

 田代:バッティングって、きっかけひとつで変わる場合もある。大田なんて「お、いいな」と思うときもあるんだけど、タイミングの取り方でまだ苦労している印象だな。中田(日本ハム)も二軍時代にいろんなタイミングの取り方を試して苦労したけど、結局は自分で見つけたからな。タイミングの取り方はアドバイスできるけど、探すのは自分。だから大田もそれを見つけられれば、まだ伸びると思っているよ。

 ――では、自分の指導の特徴を言葉で表すと

 田代:いいところを伸ばしてやるってことだな。どんな選手でも、何か光るものは持っている。それを大事にして、磨いてほしい。そのための協力はする。こうしろ、ああしろとは言わない。一度(フォームを)壊してでも「こうやれ」という指導者もいるけれど、俺はそれは違うと思う。選手の長所を意識させながら、技術を上げていきたい。それと、選手にはこっちを信頼してもらいたいよな。そのためには、俺もそれなりの対応をしないといけないんだけど。

 ――信頼されるために心掛けていることは

 田代:大事なのは、自分の言ったことに責任を持つことだろうね。その選手に言ったことをちゃんと覚えているか。前はこう言ったけれど、今回はこう、と変えなきゃいけないときもある。そんなときも、前に言った言葉を覚えていないと選手を納得させられない。頭ごなしに言うだけじゃ、納得しないもんよ。

 ――横浜時代の教え子だった村田も再指導を望んでいるようだ

 田代:修一な。「またお願いします」だってよ。ちょっとだけ話はしたけど、スイング自体が内側から振れていないと、強い球を打てないし、ポイントも小さくなる。じゃあ、なんでそうなっているのか。それは練習を見ていってからだな。ただ、修一は一軍選手で、俺は二、三軍の巡回という立場。「こうしてみたら」という考えがあったら、そこは(一軍打撃コーチの)内田さんと相談してやっていくよ。

 ――若い指導者の育成という仕事もある

 田代:俺はこの世界で長いことやっているんで、おせっかいじゃないけど、ちょこちょこ話はしていこうとは思っている。例えばイーグルスのコーチでいえば、平石なんかは素直だったから、いい指導者になったと思うよ。いきなり二軍監督になったのには驚いたけどな(笑い)。まあ、偉そうなことは言えねえけど、ジャイアンツでも俺なりに頑張るから、東スポも応援してくれよな。

☆たしろ・とみお=1954年7月9日、神奈川県小田原市出身。72年ドラフト3位で大洋ホエールズ入団。77年から10年連続で2桁本塁打を記録するなど、91年の引退まで大洋の主砲として活躍する。97年から横浜ベイスターズのコーチとなり、2009年のシーズン途中には一軍監督代行に就任する。11年には韓国・SKワイバーンズ、12年から15年までは楽天のコーチを務めた。