【久保康生 魔改造の手腕(12)】私をドラフト1位で獲ってくれた近鉄の監督は西本幸雄さんでした。入団から3年間、勝利を挙げることができませんでしたが、浮上へのきっかけを与えてくれたのも西本さんでした。
もう私が阪神のコーチになっていた2005年か06年のころ、評論家としてキャンプを視察されていた西本さんと食事をする機会に恵まれました。
私にとっては本当に怖い存在でしたから、和気あいあいと会食させていただくなんて初めてでした。
テーブルを囲んで食事をしてお酒を飲んで、監督と選手としてではなく、普通に接してもらったのがうれしかったですね。翌日はキャンプ休日でしたので、ゴルフもご一緒させていただきました。
そういった一連のお酒の席で西本さんが私に「お前は俺(が監督在任中)の時にはいっこも働かんかったなあ」とおっしゃいました。
実際、1980年の近鉄連覇の時には私はプロ初勝利を含む8勝で、リーグ優勝に貢献したつもりでしたので「いやいや、投げてますよ」と反論させていただきました。それでも「いや、お前は働いてないわ。せっかく俺が獲ったのに全然、アカンかったやないか」とおっしゃっていました。
私がキャリアハイの15完投、12勝1セーブという成績を残した82年シーズンは、西本監督が退任された後。関口清治監督の時だったんですね。なので、西本さんは、自分が辞めた後に活躍したという印象が強いんでしょう。
11年11月、西本さんが亡くなられた時には葬儀でひつぎを担がせていただきました。阪急、近鉄のOBを中心にみんなで送り出させてもらいました。
そういえば3年目、79年の夏ごろです。ストレッチをしていた時に気配を感じたと思ったら西本監督が立っていました。そこで「お前、このままやったらただのピッチャーになってまうぞ」と言われたんです。
思いがあっての言葉だったんでしょう。昔の人の独特の伝え方というのか、当時は真意を分かりかねました。でも、今は分かります。気にかけてくれていたわけですよ。
そのオフに西本さんに言われた通り、アメリカに野球留学させてもらって、私は飛躍することができました。
アメリカに行かせて何かをつかませようと思ってらしたんでしょう。
また、私の運が良かったのは二軍での指導者にも恵まれたことです。米留学の際の引率者は本堂保次二軍監督と野口二郎二軍投手コーチ(通算237勝)で、2人とも当時から年配だったとあって、厳しいわけでもなく私を放し飼いにしてくれました。
同行していた広島、阪急の引率指導者は若くてスパルタでしたから、他球団の若手たちにうらやましがられたものです。
野口さんとは師弟関係でよくかわいがっていただきました。ある日、野口さんに聞いたんです。私がアメリカに行ったとき、放し飼いで自由にさせてくれたじゃないですか、あれは意図的だったんですかと。
その答えはこうでした。「やっぱああいうところに行ったら、自由にやらせなあかんやろ」。自分自身でやってみて感じることも大事ということです。
広い視野で物事を見て、自分で感じ取ってやらせてみることが必要ということでした。まずは好きにやらせてみる。選手がやってるところを止めない。
コーチングの奥深さを学ばせてもらいました。
☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。












