【プロレス蔵出し写真館】今から38年前の1984年(昭和59年)7月25日、リック・マーテルは羽田空港から空路、福岡入りするため保安検査場で機内持ち込みの手荷物チェックを受けた。すると、保安検査員からX線検査装置に映ったカバンの中身を確認したいと求められた。

 断面図的に中身が映るモニターでは、判別がつかない物があるという。マーテルは悠然とカバンから、やたら大きいAWA世界ヘビー級のチャンピオンベルトを取り出して提示した。

 まさか、カバンの中にプロレスのチャンピオンベルトが入っているとは思わなかったろうが、プロレスファンという検査員はうれしそうに握手を求めて、ベルトを手に一緒に写真に納まった(写真)。
 
 AWA世界王者として全米をサーキットして、日米で16度の防衛を重ねたジャンボ鶴田も、同じように空港で何度もベルトをチェックされ説明に困ったと明かしていた。
 
 余談だが、新聞社のカメラマンは写真を送信する電送機が毎回、必ず確認対象となり時間を割かれて閉口したものだ。
 
 01年に発生した9・11テロ事件により、世界中の空港においてセキュリティー対策が強化され、検問所で靴やジャケットを脱がなければいけないケースも…。検査員と和やかに写真に納まるという光景は、昭和ならではなのかもしれない。

 ところで、マーテルは84年の5月13日、米ミネソタ州セントポールで鶴田を破ってAWA王座に就いた。

 7月24日に4年ぶりに来日したマーテルは、6月16日に出身地のカナダ・ケベック市で挙式したというジョアン夫人を同伴していた。25日の福岡大会で、鶴田のインターヘビー級王座に挑戦することに「自分には勝利の女神がついている。鶴田が婚約(荒牧保子さん=9月23日に挙式)したことも今聞かされたが、自分の女神の方が強いはず」とユーモラスに返答した(試合はリングアウトで鶴田の勝利)。
 
 この後、27日は滋賀・大津の試合前に京都観光で清水寺へ。この日本遠征はハネムーンも兼ねていたようだ。

 保持するAWA世界王座は、31日の蔵前国技館で鶴田と防衛戦を行い、両者リングアウトで引き分け防衛。王者のまま帰国した。

 翌85年に王者として来日した際は、10月17日、両国国技館でリック・フレアーと世界初のNWA、AWA世界王座統一戦が実現。この試合は、長州力ら維新軍団が全日本プロレスに登場していたにもかかわらずメインで行われ、6年半ぶりにゴールデンタイムに移行した日本テレビの2週目に放送された(両者リングアウトで引き分け)。

 
 その後、WWFに移籍したマーテルは90年4月13日、東京ドームで行われた「日米レスリングサミット」でカート・ヘニングと組み、鶴田&キング・ハク組と対戦。翌91年にはSWSに参戦して、佐野直喜(後の巧真)のジュニア王座に挑戦した。

 マーテルがキャリアで輝いていたのは、AWA王者時代だろうが、特に顕著な活躍をしたという印象はない。ただ、取材に協力的な、まれにみる爽やかな好青年だったことは強く記憶に残っている(敬称略)。