元プロレスラーのストロング小林こと小林省三さんが昨年末に81歳で死去していたことを受け、国際プロレスで同じ1967年7月にデビューした同期のマイティ井上氏(72)が故人をしのんだ。

 井上氏は、今回の訃報に「もともと具合が悪いと聞いたけれど『お疲れさまでした』という気持ちですね。肺を悪くしたと聞いてますけど、若いころは肺が強くて、肺活量がすごかったんです。8000ccとか9000ccあって。だから驚きました」。その上で若手時代をこう振り返った。

「最初は一緒に国際プロレスの合宿所に入ったんですよ。六畳のアパートを2部屋借りていて。当時私は大阪から来たばかりだったから、彼の東京の言葉を聞いて『東京の人間は優しい言葉でしゃべるなあ』と思ったのを覚えていますよ。気の小さい男で、あんな大それたことをすると思わなかった(苦笑い)」

〝大それたこと〟とは74年に勃発した新日本プロレスへの移籍騒動のこと。突如、小林さんが国際プロレスに辞表を提出して「引き抜き騒動」に発展し、一時的に東京スポーツ所属レスラーになるなどした後、新日本で活躍した。

 この電撃移籍以降、ほとんど会話もかわさなかったという井上氏。「最後にあの真相を聞きたかったなあ。『なんで新日本に行ったの?』『いくらもらったんだ!』って」と寂しげに笑った。