ダンプ松本 落ちこぼれ同士だった長与千種との出会い

2019年12月30日 11時00分

1980年4月、ようやくプロテストに合格。しかし苦難は続いた。左から2人目がダンプ、4人目は長与(提供写真)

【ダンプ松本の壮絶人生「極悪と呼ばれて」:連載6】1980年組の同期は長与千種、ライオネス飛鳥、大森ゆかりなど、そうそうたるメンバーだった…と言いたいところだが、私と千種は完全な落ちこぼれだった。いわゆる「これ」という個性がなかったのだ。何度「もう辞めてしまえ!」と吐き捨てられたか分からない。その2人が後に日本中を沸かせる抗争を展開するんだから、人生分からねえな。

 1980年5月、いち早く同期から飛鳥がデビューした。彼女は何をやってもソツなくこなすセンスがあった。一番最初に仲良くなったのは飛鳥で、10キロの長距離走でもいつも一番。太っていた私は大汗かきながら飛鳥に「ホント、足速いよねえ」と声をかけたのを覚えている。

 この年の夏から全女はA班、B班の2チームで別々に巡業するシステムを採用したため、選手は倍必要になった。このシステムで落ちこぼれの私と千種は救われる。8月8日(東京・田園コロシアム)でようやくデビュー。内容はよく覚えていない。「やっと選手になれた」「これで大好きなジャッキーさんのそばにいられる」という思いだけだった。

 デビューはしたもののアンコ型ということもあってか、自分の方向性は定まらなかった。人を追い抜いてまで上に行こうというタイプでもなかった。しかし2チーム制はわずか1年で廃止されたため、私も千種も試合が組まれなくなってきた。救いだったのは同期が5人、寮で暮らしていたことだ。

 当時は三禁(酒・タバコ・男)が大原則だった時代。お金がないから食事も粗末そのもの。肉なんて月に1回程度だ。そこに地獄のような練習。耐えられたのも同期がいたからこそだ。先輩の陰湿ないじめに遭っても、ペチャクチャ悪口を言うことでストレスを発散した。深夜になると真っ暗な事務所に忍び込んで、それぞれが親元に電話をかけていた。妙な光景だよな。私は熊谷だけど千種の実家は長崎、大森ゆかりなんか札幌だぞ。一体いくら電話代かかったんだよ。

 女子プロは団体競技のような部分がある。今はプロになっても同期は1人か2人、すぐつらくなって辞めてしまう。私たちの時代は、十代後半の女の子が5~6人で集団生活と上下関係を覚えながら大人になっていった。次回は女子プロ特有の「いじめ」について話そう。

☆だんぷ・まつもと=本名・松本香。1960年11月11日、埼玉・熊谷市出身。1980年8月8日、全日本女子プロレス・田園コロシアムの新国純子戦でデビュー。84年にヒール軍団・極悪同盟を結成してダンプ松本に改名。長与千種、ライオネス飛鳥のクラッシュギャルズとの抗争で全国に女子プロ大ブームを巻き起こす。85年と86年に長与と行った髪切りマッチはあまりに有名。86年には米国WWF(現WWE)参戦。88年に現役引退。タレント活動を経て03年に現役復帰。現在は自主興行「極悪祭り」を開催。163センチ、96キロ。

(構成・平塚雅人)

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