【赤堀元之コラム】トライアウト直前 仰木さんから呼び出しが…

2022年08月03日 11時00分

球界再編で近鉄は消滅。恩師の仰木監督から声がかかり…(東スポWeb)
球界再編で近鉄は消滅。恩師の仰木監督から声がかかり…(東スポWeb)

【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(13)】2004年は僕にとっても近鉄球団にとっても大変な年でした。球界再編でオリックスとの合併が決まり、大阪ドーム最後の試合となった9月24日の西武戦に呼ばれ、9回二死から登板させてもらいました。近鉄でやってきた選手を出場させてあげようという“花道登板”で、引退試合の形になってしまい、みんなに「お疲れさん!」って言われてね。その時点で僕は戦力外通告をまだされていなかったので、変な気分でした。

 シーズン後、球団に藤井寺の寮に呼ばれて「来年は契約しない」ことを言われ「分かりました」と…。何となく分かっていたし仕方がないことだけど、僕はまだトライアウトを視野に入れていたんです。ホントあきらめが悪いですねえ(笑い)。24日の登板は一切投球練習をしないままに臨んだので、11月のトライアウトはしっかり合わせて準備するつもりでした。

 まだ独身だったし、ここまでやってきたんだからやれるところまでやろうと思った。約7年間もケガの治療やリハビリを続け、しんどさは身に染みて分かっていたし、先の見通しも良くない。でも思い描いているように終われていない。僕には野球しかなかったんですよ。

 オリックスとの合併に伴って11月に分配ドラフトが行われ、選手らがオリックス、新球団・楽天に分かれていきました。若手のころにお世話になった近鉄の先輩の吉井理人さんがオリックスを戦力外になり、直後に新監督になった仰木彬さんが呼び戻して再契約を結んだ。僕も自由契約となり、トライアウトに向けて藤井寺で調整していたので同じような立場。「こっちにはないか」と思っていたら、球団代表の足高圭亮さんから「仰木さんと3人で食事に行こう」と連絡をもらったんです。

 さすがに再契約はないだろう、何の話かな、と思って大阪市内のホテルに行くと、仰木さんが「お前、野球はもうええやろ。やめてコーチやれ」って。足高さんも僕のことを気にかけてくれていたみたいで…。

 でも急に方向転換できないし、すぐに返事はできない。あきらめが悪いからクビになってもトライアウトを受ける気でいたし、家族とも話さないといけません。あと野球が何年できるか。もう球団の支援もないし、まだ肩は痛みも消えていない。もし他の球団に入れたとしても1年でまたクビになるかもしれないし、それなら違う方向に行くのがいいのか…。いろいろ考えて指導者になることを決意し、2日後くらいに仰木さんに連絡を入れました。

 合併のチームだし、仰木さんも1年目。知っている選手はたくさんいる。いい話だと思えるようになり、仰木さんも期待してくれている。04年オフ、僕は現役を続行するつもりが、思わぬ形で引退し、オリックスの投手コーチとして新たな野球人生をスタートさせました。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。

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