【赤堀元之コラム】近鉄消滅…花道登板させてもらったけど…

2022年08月02日 11時00分

球団消滅が決まり、大阪ドームのラストゲームは涙に包まれた(東スポWeb)
球団消滅が決まり、大阪ドームのラストゲームは涙に包まれた(東スポWeb)

【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(12)】2001年のヤクルトとの日本シリーズはいてまえ打線が封じられ、1勝4敗に終わった。打線の勢いはあっても、短期決戦の戦い方をわかっている古田敦也さんにやられてしまった。僕が万全の状態で試合に出ていても…難しかったと思います。1イニングだけでも投げたかったなあ。

 右肩痛はその後もずっと続き、関節唇が剥がれて骨に当たって炎症を起こす。潤滑注射ではどうにもならなくなり、関節唇を縫うか除去するしかない。それをやっちゃうとみんな投げれなくなるんです。ヒジのクリーニング手術ほど簡単ではない。肩って一番動かす場所だし、関節唇は投げれば投げるほど炎症が起きて厄介なんです。

 他に腱板の損傷もあったし、なかなか厳しかった。手術の選択肢もあったかもしれないけど、年齢的にも球団が見てくれないですよね。1999年に右ヒジの靱帯再建手術をしたとき、肩も診てもらえばよかったかなあって。ずっとヒジのリハビリをやっていたことで他のところが弱ってきたり、かばってきた部分が関係してくる。球団にトレーナー以外にも専門の人がいたらまた変わっていたかもしれないですけど…。

 もう無理やな、とも思った。02年、03年も良くはならず、炎症を起こしてもっと悪くなることもある。薬を飲みながら投げ続け、毎年「もう来年しかない」と思うようになっていました。1試合の登板に終わった03年オフの契約更改では「どうする? やめるか?」と聞かれ「年俸はいくらになってもいいから、あと1年やらせてください」と…。

 クビみたいなもんなんだけど、球団は自分で決めさせてくれた。もう1回ちゃんとやって可能性を見つけたかった。トレーニングを続け、二軍で終わるんじゃなく、一軍で投げたい。白星よりも一軍でもう一度、投げたい。ホントあきらめ悪いですよねえ。年俸は年々落ちていって1500万円。その方が急に落ちるより税金が払いやすくてよかったですよ(笑い)。そういう世界だし、悪あがきかもしれないけど、もう1年やりたかった。

 過去にタイトルを取ったとか関係ない。引き際というか、あきらめずに最後までやれればいい。自分からやめるより、向こうから肩を叩いてくれる方がいいと思っていましたね。 

 ラストイヤーの04年、いくらトレーニングしてもいい時と悪い時の波が激しいままでした。一軍登板は4試合だけ。最後は二軍で薬を飲みながら投げ、もう戦力外通告は覚悟していました。その年、球界再編で近鉄はオリックスとの合併が決まり、球団の消滅が決定。9月24日、大阪ドームで近鉄の最後のホームゲームとなった西武戦の9回二死、僕は“花道登板”をさせてもらった。でも、その時点でまだ戦力外を受けていなかったんです。なのに引退試合みたいな感じになっちゃって…。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。

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