プロ野球の中日、日本ハムで通算2204安打をマークし、日本ハムの監督を務めた野球評論家・大島康徳さんが6月30日に死去していたことが5日、関係者の話で分かった。70歳だった。

 2017年2月に自身のブログで大腸がんを患ったことを告白。近年は「ステージ4」のがんが肝臓などへ転移したことも打ち明けつつ、仕事を続けながら懸命に闘病していた。

 大分県出身。地元の大分・中津工高(現中津東高)から1969年、ドラフト3位で中日へ入団し、中心打者として74、82年と2度のリーグ優勝に大きく貢献した。76年にマークしたシーズン代打本塁打「7」は現在でもプロ野球記録の金字塔となっている。79年にリーグ最多安打、83年に本塁打王。88年からは日本ハムへ移籍し、90年8月に通算2000本安打を達成した。94年に44歳で現役を引退。26年間の現役生活で通算成績は2638試合で打率2割7分2厘、2204安打、382本塁打、1234打点を記録した。

 指導者としては2000~02年まで日本ハムの監督を務め、通算成績は181勝225敗7分け。06年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の打撃コーチとして「世界一達成」を経験。NHKの解説者としても人気を博した。

 大島さんの逝去を受け、本紙専属評論家の伊原春樹氏が思い出を語った。

「彼とは新人の時にジュニアオールスターで一緒になってね。ボクが西鉄で彼が中日、同じウエスタン・リーグだったんだけど、とにかく明るく大きな声で『元気のあるやつだなあ』というのが第1印象だった。現役引退後に指導者になってからは、同じパ・リーグで西武と日本ハムの監督同士として何度も対戦。他の球団とはいろいろあったが、彼の日本ハムとは変な遺恨はありませんでした。人間的にもできた監督でリーダーシップもあった。当時、日本ハムを〝お客さん〟にしていた西武監督のボクが言うと嫌味みたいになっちゃうけど、戦力的に劣るチームを必死にまとめようとして頑張っていた。毎日のようにブログで病状をつづっていたのも、強い意思があったからこそなんだろう。年齢はボクより2つ下。残念です」