【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】名選手の陰に名指導者あり――。これは今も昔も変わらない。そして名指導者の源流をたどっていくと、ある人物にぶつかる。現役時代に「怪童」の異名を取った中西太氏(88)がその人だ。

 ただ、今回の主人公は阪神の大物ルーキー・佐藤輝明(22)。14日の広島戦では先発・森下のカーブを捉え、甲子園初アーチとなる4号2ランを右中間席に放り込んだ。一体、中西氏と何の関連があるのか…と言わず、しばしお付き合い願いたい。

 今春の宜野座キャンプでのことだ。今季から一軍担当となった北川博敏打撃コーチは各打者の後ろや横と、一風変わった角度からティー打撃のトスを上げるなど独特な指導法を見せていた。スイングが遠回りしないようにするための練習で、これ自体は特別に斬新なわけでもない。だが、こうした引き出しを北川コーチがどこから習得してきたのかが重要なのだ。

 同コーチは2019年までヤクルトの二軍打撃コーチ。「ファームで見せてもらったことを、僕も阪神に来てやらしてもらってます」と言うように、当時は巡回コーチだったヤクルト・杉村繁打撃コーチから多くの指導法を学んでいる。

 杉村コーチは青木宣親や山田哲人、村上宗隆、横浜時代の内川聖一ら、そうそうたる強打者を育成してきた。北川コーチはそのエッセンスを吸収し、古巣に戻ってきた。このタイミングで新人の佐藤輝が入団したことは運命といっていいかもしれない。杉村コーチはこう話す。

「僕が打撃指導で最も影響を受けた人物は中西太さん。その次が若松勉さん。若松さんも中西さんの弟子。同じ打撃理論を持って指導者になっている。北川コーチが同じ理論を阪神に持ち帰っていい打者を育てれば、それはいいこと。中西さんの教えを野球界につなげていってくれたらいい」

 中西太氏は名参謀としても知られる。1989年の近鉄、95、96年のオリックスで仰木彬監督の3度の優勝を支えた。80、81年には阪神の監督を務めた。

 座右の銘である「何苦楚」(なにくそ、何事も苦しむことが楚となる)の精神はオリックス・田口壮外野守備走塁コーチや独立リーグ福島の岩村明憲監督ら元メジャーリーガーも心酔している。中日・村上隆行巡回打撃コーチも中西氏の愛弟子だ。

 話題を佐藤輝に戻す。矢野監督や井上ヘッドはもちろん、サンズら先輩からも貪欲に教えを乞う積極的姿勢。これも佐藤輝の長所だ。ここに中西太氏の流れをくむ、北川打撃コーチの指導も加われば鬼に金棒となるやもしれない。

「何苦楚」の精神に中西氏から若松氏、杉村コーチ、北川コーチと連綿と受け継いできた打撃理論。確固たるメソッドに1年目から出会えた佐藤輝は幸運といえる。

 ☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。