【藤田太陽「ライジング・サン」(11)】高校卒業までを地元の秋田で過ごし、社会人野球の川崎製鉄千葉に加入したことで初めて親元を離れることになりました。高校3年生で本格的に投手を始めて、ここからがようやくスタートライン。ただ、名門校でもまれてきたわけでもない僕は、社会人野球のレベルの高さに圧倒されました。

 まずは練習についていけなかったです。ウオーミングアップにすら、ついていけないんです。投手のランニングの量、投内連係のスピードから何から何までです。

 超弱小高校から社会人のトップチームに行ったわけです。最初はボール渡ししかしてなかったですが、いざ練習に入れと言われて入ってみたら、キツくてついていけないと体感して…。

 卒業式の前に1か月練習参加したんです。その後、式に出席するために一度秋田に帰るじゃないですか。そのころには本気で千葉に戻るのをやめようかなと思いましたね。

 その年、川崎製鉄千葉では高卒入団した選手は僕一人でした。基本的には大学卒しか獲らないんですよ。高校生は獲るには獲るんですが、その意味合いは5年以内にプロを狙える選手であることです。

 僕は何とか無事に入社を果たし野球部での生活をスタートさせることができました。ただ、練習についていけない状況は変わりません。ウオームアップのメニューは次から次と違った種目の練習をこなしていくサーキット系のトレーニングでした。

 息が止まるところがない感じで一個、一個のメニューをマックスの力で動きまくります。それだけでかなり体力がつきました。一時期、はやった「ビリーズ・ブートキャンプ」をずっとやっているような状態です。それでいて、常に声を出さないといけない。

 ちょっと軍隊入ってますよね。社会人野球って。その要素、大いにありますね。今は薄れてきているとは思いますけど…。とはいえ、今でも強いチームにはそういう要素はあると思います。

 社会人野球って大事な試合はトーナメント方式。その中で勝つということは、そういうことだと思うんです。適切な表現じゃないかもしれないですが、戦争に派遣されて戦死してしまったらジ・エンド。そうならないために、いっぱい準備をするじゃないですか。

 相手の戦力を調べて、地理的な知識も備えて、自分自身のコンディションも整えて、できうる限りの準備の引き出しを揃えておく。その上で戦場に飛び出していくのがトーナメントを戦う上での備えだと思うんです。

 指導者になった今、選手たちにもよく言うんです。何も分からない状態でグラウンドに出ていっても、自分が恥をかくだけだぞって。

 なぜ、今やっているこの練習をやらないといけないのか。言い回しをいろいろと変えながら選手に伝える。なぜここまで細かく言うのか。野球で名門といわれる一流の高校、大学出身者はこのへんをすでに理解していることが多いんです。

 でも、僕のように普通の高校からやってきた子には、そんなことが分からないんです。いきなりトップレベルのチームにポンと入っても分からないんです。

 当時の僕はというと、必死で目の前のメニューをこなしているだけでした。高卒は僕だけで、雑用なども一番年下の僕に集中します。新社会人、新たな環境。入部してしばらく経過した5月くらいでしょうか。僕は意を決して監督に相談に行くことにしました。

 ☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4・07。