【ID野球の原点・シンキングベースボールの内幕(6)】野村克也氏の代名詞とも言えるのが、データを重視した「ID野球」。その原点となったのは南海時代にドン・ブレイザー氏が日本に持ち込んだ「シンキングベースボール」だった。「ブレイザーの陰に市原あり」と呼ばれた側近の市原實氏が、2007年に本紙で明かした内幕を再録――。(全16回、1日2話更新)


「どうして球種が分かるのか?」。相手投手が三塁コーチのブレイザーをにらみつけ、クビをかしげる。フォークなどの特殊球を投げる時に限って、三塁コーチスボックスから彼の口笛が聞こえてきたからだ。

「クセがばれているのだろうか…」。そう思いながらも同じボールを投げると、今度は口笛を吹いてこない。だが、大事な場面になればなるほど吹いている気もする。そうやって疑心暗鬼に陥った投手は自滅を繰り返していった。ブレイザーの揺さぶりは、まさに自由自在という感じだった。

 だが、こけおどしではない。「一番分かりやすいのはフォークだ。ボールをはさみこむ動作をすることで、手首の動きやグラブの開きなどにクセが出やすい。それにフォークは予想していないと打つことが難しいボール。だからフォークがくる場合は私が事前に指示しよう」。ブレイザーはグラブの動きやフォームのクセなどから確実に相手の球種を見抜いていた。

 しかも、当時の南海にはブレイザーが舌を巻く人物がいた。誰あろう兼任監督の野村克也だ。

 野村は西鉄・稲尾和久のスライダーを何としても攻略したいと思っていた時に「最後の4割打者」として知られるテッド・ウィリアムスの「投手には必ずクセがある。私は対戦している投手の90%は、投球前に何を投げてくるかを知っている」という言葉に感銘を受け、稲尾のフォームをビデオで分析。ついにはスライダーのクセを発見した。

 一方、ブレイザーが「私が最も尊敬する選手」として名前を挙げていたのもテッド・ウィリアムス。2人が意気投合するのも自然の流れだった。

 そんな2人が監督、ヘッドコーチとしてコンビを組み、ミーティングでは「ヒットを打つために確実な方法は、投球前に球種を知ることである」と選手たちに説いた。もちろん球種を読む以前に選手個々の技術の向上も必要だが、実際の事例とともに球種をズバズバ言い当ててみせた野村とブレイザーに選手は驚き、感心した。そうして南海打線は実力以上にヒットを連ねていった。

 こんなこともあった。身を乗り出して捕手のサインをのぞき込んでいた一塁走者が、あまりに夢中になりすぎて一塁けん制されたことに全く気づかずタッチアウト。今となっては笑い話だが、当時の南海には「スキあらば盗んでやろう」「出し抜いてやろう」という意識が浸透していた。

 ただ、相手投手によっては「分かっていても打てない」「分かっているからこそ打てない」というボールもあった。1970年のあの試合、南海はほとんどの球種を分かっていながら完全試合を食らってしまった。=敬称略=


 ☆いちはら みのる 1947年生まれ。千葉県出身。県立千葉東高―早稲田大学教育学部。早大では野球部に入部せず、千葉東高の監督をしながらプロの入団テストを受験し、69年南海入り。70年オフに戦力外通告を受け71年に通訳に転身する。79年に阪神の監督に就任したブレイザー氏に請われ阪神の守備走塁伝達コーチに就任。81年にブレイザー氏とともに南海に復帰すると、89年からは中西太氏の要請を受けて近鉄の渉外担当に。ローズ、トレーバーらの優良助っ人を発掘した。ローズが巨人に移籍した04年に編成部調査担当として巨人入団。05年退団。