育成選手から今や日本を代表する投手にまで上り詰めたソフトバンクのエース・千賀滉大投手(27)。蒲郡高校時代は全国的に無名の存在だったが、育成ドラフト4巡目で指名を受けて入団すると急成長を遂げた。そんな右腕を高校時代に投手の世界に導いたのが、当時、蒲郡高で指導していた金子博志監督(現・豊橋商)だ。サクセスストーリーを描いた千賀の〝エピソードゼロ〟とは。

 千賀の母校は愛知県の蒲郡高校だ。甲子園の出場もなく、野球の強豪でもない。そんな地元の公立高校から鷹のエースは誕生した。

 成長痛に苦しんだ中学時代はサードを守っており、進学後も本人の希望は経験のある内野手だったという。しかし、すぐさま投手に転向することになる。後押ししたのが金子監督(現・豊橋商監督)だった。「キャッチボールをしているのを見た段階です。ボールの伸びが野手の球ではなかったんです。これは投手の球だなと思いました」。この出会いが一つの契機となった。

 ここから投手・千賀の野球人生がスタートする。ちなみに入学当時の直球の球速は124キロ。一般的な公立高校の1年生投手としては「まずまず」の部類だった。また、身長こそ高かったものの、体重は55~56キロと細身だったという。まずは体作りが始まった。

「宿泊をともなう遠征に行った際は(白米を)お茶碗1杯食べられるかというレベルでした。親御さんに『まずは食べることから始めましょう』と話させてもらったのを覚えています」(金子監督)。

 当初こそ導かれての投手転向だったが、1年の夏の予選にも1イニングだけとはいえ登板を果たす。そして日に日に「滉大の中で投手としての自覚が出てきたのを感じました」という。「今も研究熱心で多くのことを吸収していると思いますが、当時も負けん気の強さがあり貪欲。性格としても投手向きでした」。体だけでなく精神面もグングンと成長し、チームのエース格となっていく。

 高校当時から目立っていたのが関節の柔らかさだった。「ストレッチをさせても、ほかの子ができない動きができていました。手のひらを上に向けた状態で両手を前に伸ばした時に、手からヒジまでがぴったりつくんです」。恩師はその柔らかさがしなりとなり、魅力であるボールの伸びにつながっていたとも話した。

 ちなみに、そんな高校時代の千賀を見て「こんな肘の使い方をできるやつはおらん。億を稼ぐプレーヤーになるぞ」とゾッコンになった人物こそ、愛知にあるスポーツ用品店の店主・西川正二さんだった。現在は亡くなっているが、その眼力の正しさは千賀の活躍が証明している。西川さんが知り合いだったスカウトら球界関係者に〝ダイヤの原石〟の存在を知らせていたことが、無名だった右腕が育成選手で入団することにつながっていく。

 プロ入り後もキャンプを訪れるなど、金子監督は千賀の成長を見守っている。その投球はもちろんのこと、精神面の成長にも目を細めている。高校時代に出会ってから現在までの右肩上がりの急成長。その姿は教師、そして野球指導者として大きな糧にもなっているという。「あれくらい変わった(成長した)生徒がいたというのは、教えること、コーチングをしていくことの上で僕の財産です」と力強く話した。

 今季の千賀は右前腕部の張りで開幕に間に合わなかった。ただ、順調にファームで調整を進めており、いよいよ7日の楽天戦(ペイペイドーム)で一軍マウンドに復帰予定となっている。