2001年9月28日長嶋勇退スクープの裏に小麦色の女 本紙コラムでおなじみ監督の隣の…

2020年07月03日 11時00分

岩田さん(左)はいつも長嶋監督の隣にいた

【球界平成裏面史(65)】平成13年(2001年)9月28日の夕刻、巨人・長嶋茂雄監督が、今季限りでの退任を電撃的に発表した。当日朝の一部スポーツ紙が「長嶋続投」と大見出しで報じるなど、続投ムードが漂う中での「ミスター退任」のニュースは日本中を驚かせたが、本紙だけはキナ臭い動きを連日報道。27日発行の紙面では「日本テレビが30日の最終戦を無制限生中継」「長嶋監督の勇退セレモニーか」と打ち、28日発行の紙面では「やはり退団か」など全メディアの中で唯一「長嶋退団」を報じ続けた。

 だが、本紙も決定的な材料があったわけではない。小さな「違和感」の積み重ねが、勇退スクープへとつながった。当時、長嶋監督の側近だったのは、小俣進広報と所憲佐マネジャー。この2人の意見はたいてい一致するのだが、監督の進退に限っては「監督が辞めるわけない」「もしかすると辞めるかもしれない」と意見が分かれた。

 また、ある時、小俣広報からこんなことを聞かれた。「監督がこの前の東スポの記事を読んで『これ、誰が言ってるの?』って気にしていた」。その記事では、長嶋監督の親しい知人が「家族のために今季限りで辞めることを考えているのでは」と語っていた。小俣広報には「能仁寺の荻野映明和尚に聞きました」と伝えたが…。これまでたとえ、どんな采配批判を書かれても動じなかった長嶋監督が、この記事にだけは敏感に反応した。そんなことは初めてのことで、のちに荻野氏は長嶋監督から「和尚はオレの気持ちを分かってくれていたんだよね」と声をかけられたという。

 ほかにも来季の長嶋監督のカレンダー撮影が急きょ延期されたこと、巨人・渡辺恒雄オーナーと日本テレビ・氏家斉一郎社長の会談が9月に入ってから激増していること…。いろいろあったが、なかでも大きな情報を入手したのが、ラジオ日本キャスターで本紙コラムでおなじみだった岩田暁美さんだ。いつも長嶋監督の隣にいた、ロングソバージュで小麦色の肌がトレードマーク、ちょっと太めの女性といったら覚えている人もいるかもしれない。ミスター勇退のキーワード「日本テレビが最終戦を無制限生中継」を独占キャッチしたのが、岩田さんだった。

 そしてあの28日は“とにかく長い一日”だった。その日朝、記者は東京・阿佐谷にある日本テレビ・氏家社長の自宅前に詰めていた。そこには報道各社の巨人担当記者がずらり。午前10時10分、家から出てきてクルマに乗り込もうとする氏家社長に「最終戦無制限生中継の件ですが…」と質問したのは、この日朝に「長嶋続投」を打ったスポーツ紙の記者だった。氏家社長は「聞いてないな。これから確認するよ」とおとぼけ。すでに最終戦での勇退セレモニーが決まっていたのはご承知の通りだ。

 それから記者は都内の原ヘッドコーチの自宅へと向かった。前日の試合後のミーティングで原ヘッドは長嶋監督と2人きりで長時間、話し込んでいるのを知っていた。午後1時10分、原ヘッドの自宅前には、自分と、のちに日本ハムファイターズの広報担当になるデイリースポーツのH記者がいた。

 やがて自宅から出てきたのは…。原ヘッドと吉村禎章氏。来季組閣についての打ち合わせをしていたことがのちに明らかになるのだが、原ヘッドは「ちょっと吉村とゴルフの話をしていてね」なんてごまかすと「昨日の夜、長嶋監督と何を話したのか?」との質問にも「何も話してないよ」と大ウソ。記者会見用にネクタイをビシッと締めたスーツ姿で、クルマで去っていった。

 そこから記者は、田園調布の長嶋監督の自宅へ。タクシーで到着すると、ちょうどスーツ姿に身を包み、クルマで出発した長嶋監督とすれ違った。時刻は午後1時30分。あとから分かったことだが、夕方の退任会見に臨む前に行きつけの理髪店に向かうところだったという。

 その後、記者の元に「東京ドームホテルで長嶋監督の退任会見、後任は原ヘッド」との確定情報が入ったのは午後2時30分。東京ドームホテルの宴会場でアルバイトをしていた巨人応援団のX君からの電話だった。報道各社に「午後4時30分から東京ドームホテルで長嶋監督の会見が行われます」とのファクスが入ったのは午後3時30分。「退任の会見」と共同通信社の緊急ファクスで内容が明らかになるのは、会見開始20分前の午後4時10分のことだった。ここまでの流れは「長嶋辞任スクープ完全ドキュメント」として翌日発行の紙面に掲載されたが、巨人・土井誠球団代表からは「これみよがしに書いてくれたねえ」と苦笑された。

 そして岩田さんは自身のコラムで「監督のシグナルを感じとれた自分が、ちょっぴりうれしかった」と書いた。岩田さんはそれからわずか2年後、41歳の若さで亡くなってしまったが…。当時の東スポ巨人担当の一員として、長嶋勇退スクープの裏に、岩田さんの功績が大きかったことを、ここに記しておきたい。

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