【鈴木ひろ子の「レスラー妻放浪記 明るい未来」4】世界最大のプロレス団体「WWE」で活躍したKENSO(ケンゾー=46)&鈴木ひろ子氏(46)夫妻による連載「レスラー妻放浪記 明るい未来」の第4回では、11日に16回目の命日を迎える“破壊王”橋本真也さん(享年40)を振り返る。「闘魂三銃士」の一人として、ⅠWGPヘビー級の名王者として、ゼロワンの創設者として、プロレス史に名を刻んだ破壊王を、付け人だったケンゾーとひろ子氏はどう見ていたのか。太く雄々しく時代を駆け抜けた橋本さんの素顔とは――。

 橋本選手は大の車好きでした。ケンゾーが付け人を務めていた当時、橋本選手の愛車は最高級のメルセデス・ベンツ。車は常にピカピカで、ちょっとした傷も放っておかない。懇意のディーラーに頻繁に車を入れて、メンテも手入れも欠かしません。

 無頓着に荷物をトランクに放り込むケンゾーにはいつもひやひやして、荷物を入れるのも、運転も、ケンゾーに任せることはしませんでした。

「おい、あかんぞ、傷つくやないかっ」

 うるさいことを言わない橋本選手が、車にだけはうるさかった。通常であれば、車を運転するのは付け人の役目です。それが、文字通り、自分の愛車を愛してやまない橋本選手は「これまでで最も使えない付け人」であるケンゾーには運転を任せることはありませんでした。

「俺が運転する。お前は後ろに乗っとれ」

 試合会場に向かう際にも自らハンドルを握り、助手席には手荷物、どういうわけだか付け人のケンゾーが後部座席に座るのです。私も一度だけ会場で待ち合わせをしたことがありますが、到着した車を見ると、駐車係は運転席の橋本選手にタメ口で指示を与え、スモーク越しに後部座席から現れる付け人ケンゾーに深々と敬礼をし、それを見た関係者はあぜんとするのです。

 そんな中、デビュー後すぐにケンゾーがポルシェを買って問題になったことがありました。新弟子のくせにと…。それを聞きつけた橋本選手から、すぐに連絡が入りました。

「なんや、お前、ポルシェ買ったんか」

 怒られるかと思いきや、すぐに見せろと橋本選手は芝浦のインターコンチネンタルホテルに来いと言って電話を切りました。慌てて現地に向かうと、地下の駐車場で大男が一目散にわれわれの元に向かってきました。

「ひろちゃんも一緒か。なんや、これか、ええやないか」

 橋本選手はまじまじと車を見渡すと、一緒に来てくださっていた奥さまと私を置きざりに「よし、乗るぞ。お前は助手席に乗れ」と橋本選手が運転席に、ケンゾーは助手席に乗り込みました。大男2人が狭い車中にひしめき合い、「あかんぞ、屋根を開けろ、屋根をっ」と車本体からはみ出さんばかりの体でルーフを開け、頭はフロントガラスの上から出しながら、駐車場を何周も回り、爆音をとどろかせるのです。

「ったく。子供じゃないんだから」

 まるでおもちゃを手に入れた子供のようにはしゃぐ2人は、思う存分地下駐車場に爆音をとどろかせ、その後、奥さまのかずみさんと私の4人でお祝いをしてくださいました。いつもたくさん取り巻きがいる橋本夫婦だけに、われわれと夫婦4人だけでの水入らずの食事は、これが最初で最後でした。

「パパもさ、ケンゾー君に変なこと教えちゃだめだよ」

「ええやないか。男ならやりたいことやるんじゃ」

 それは、いろいろと凹むケンゾーへの、橋本選手なりの気遣いだったのだと思います。食事中も、橋本選手と奥さまは道場でのやりとりについて一切触れず、楽しい会話を選んでいたのだと思います。

「ケンゾー。傷は放っておくなよ。車だけはいつも完璧にしないとあかんぞ」

 そう繰り返していた橋本選手ですが、ある日ケンゾーは一つだけ、気になる傷があることに気がつきました。

「橋本さん、ここ、傷がありますけど」

 これだけ車にこだわる橋本さんです。慌てるかと思いきや、橋本さんはその傷に驚きませんでした。

「福田が運転した時の傷や」

 福田(雅一)選手はケンゾーの先輩で、同じく橋本選手の付け人でした。いわばケンゾーの兄弟子で、リング上で急逝されたばかりでした(2000年4月)。優しくて、ケンゾーも大好きな先輩でした。

 橋本選手は、きちょうめんな福田選手には自分の車の運転をさせていました。その時にできた傷を、橋本選手は消すことができずにいたのです。「福田との思い出や。それは消さんでいい」。寂しがり屋の橋本選手らしい弔い方でした。

 車の話になると、ケンゾーは今も橋本選手の「消せない傷」を思い出します。今頃2人は天国で会えているのかなと、橋本選手や福田選手と過ごしたあの短いひとときを思い出すのです。

 ☆すずき・ひろこ 1975年2月14日生まれ。千葉・船橋市出身。明大卒業後に福島中央テレビにアナウンサーとして入社。2003年にケンゾーと結婚し翌年に渡米。WWE入りした夫とともに、自身は日本人初のディーバ「ゲイシャガール」として大活躍。ハッスルやメキシコマットでも暴れ回った。現在は政界に転身し、千葉県議会議員を務める。一児の母。

 ☆ケンゾー 本名・鈴木健三。1974年7月25日生まれ。愛知・碧南市出身。明大ラグビー部を経て一度は就職するが、99年に新日本プロレス入り。2002年2月にアントニオ猪木から当時混乱していた新日本の現状を問われてリング上で「僕には自分の明るい未来が見えません」と発言したのは語り草だ。その後は米WWE、ハッスル、全日本プロレスなどで活躍。現在は共同テレビジョン勤務。191センチ、118キロ。