プロ野球・中日ドラゴンズの元投手でタレントの板東英二さんが、22日に慢性心不全のため死去していたことが28日、分かった。享年86。徳島商のエースとして出場した1958年夏の甲子園大会ではチームを準優勝に導き、1大会83奪三振の最多奪三振記録は今も破られていない。中日では通算77勝(65敗)と活躍。チーム内でも〝ゆで卵好き〟は有名だったという。

 甲子園の大スターだった板東さんは59年に中日に入団。契約金2000万円は巨人のV9時代を支えたONコンビ(王貞治氏、長嶋茂雄氏)よりも高額で本人もよくこれをネタにしていた。

 61年には21歳の若さで開幕投手を務めるなどドラゴンズの主力投手として活躍。だが、板東さんがマルチな才能を発揮したのは69年に現役を引退してからだった。中日が巨人のV10を阻止してリーグ優勝を果たした74年、板東さんが歌った中日の応援ソング「燃えよドラゴンズ!」は大ヒット。「1番・高木が塁に出て~、2番・谷木が送りバント~」という歌詞を東海地区の小、中学生の誰もが口ずさんでいた。

ドラゴンズ現役時代の板東英二(1969年)
ドラゴンズ現役時代の板東英二(1969年)

 タレントとしてもクイズ番組「マジカル頭脳パワー!!」(日本テレビ系)、「世界ふしぎ発見!」(TBS系)の解答者などで活躍。84年に「金曜日の妻たちへⅡ 男たちよ、元気かい?」(TBS系)で俳優デビューすると90年には映画「あ・うん」でブルーリボン賞助演男優賞などを受賞した。

 誰からも愛されるキャラクターで中日時代もチームメイトから慕われていた。引退してプロ野球解説者になった後も板東さんがグラウンドにやってくるとその周りには自然と中日ナインの輪ができていたという。中日OBで元バッテリーコーチの金山仙吉氏(74)は「板東さんとはほんの少ししか(中日で)重なっていないけどチームの顔で、すごい選手なのに高卒1年目ルーキーの自分にも『金山君、金山君』とやさしく声をかけてくれた。みんなから愛されるフレンドリーなキャラクターだったよ」と振り返る。

 板東さんと言えばゆで卵好きのタレントとしてよく知られているが、それは中日時代から有名な話だった。「星野(仙一)さんも『ばんちゃん(板東さん)はゆで卵が大好きなんや』とよく言っていた。食べる時は10個ぐらい食べていたらしいよ」(金山氏)

 ドラゴンズ史上トップクラスの知名度を有するOBの訃報に井上一樹監督(55)は「突然の訃報にただただ言葉を失っています。長年にわたり中日ドラゴンズやプロ野球界の発展、そして魅力の発信に独自のパフォーマンスで力を尽くされ、球団やチームに対しても温かいご指導をいただきました。これまでの歩みに深く敬意と感謝を申し上げるとともに心よりご冥福をお祈りします」とコメント。板東英二の名前は「燃えよドラゴンズ!」の歌声とともに中日ファンの記憶にいつまでも残り続けるはずだ。