元プロ野球・中日の投手でタレントの板東英二さんが、22日に慢性心不全のため死去していたことが28日、公式サイトで発表された。86歳だった。葬儀はすでに家族のみで執り行われたという。多くの芸能人と親交があった板東さんは、2011年に引退した島田紳助さんと公私ともに付き合いが深かった。紳助さんとは、板東さんの〝最期〟について、ある約束を交わしていたという――。
旧満州(現中国東北部)で生まれた板東さんは父の故郷・徳島県で育ち、徳島商高のエースとして1958年の第40回全国高校野球選手権で準優勝。59年に中日入りし、11年間で435試合に登板し77勝65敗、オールスターには3度出場した。
引退後はタレントとして、クイズ番組「マジカル頭脳パワー!!」(日本テレビ系)、「世界ふしぎ発見!」(TBS系)の解答者などで活躍。さらに俳優としても活躍し、90年には映画「あ・うん」でブルーリボン賞助演男優賞などを受賞した。
2012年には個人事務所による申告漏れが発覚。全レギュラー番組を降板するなど波乱万丈な芸能生活を送った。
板東さんは夏の甲子園で準優勝した際、同大会で記録した83奪三振は、今でも1大会での最多奪三振記録として破られていない。ただ本人はこの記録にこだわりは全くなかったという。
「後に〝ハンカチ王子〟こと早稲田実業の斎藤佑樹投手に記録を抜かれそうになったことがあるが、板東さんはハラハラするどころか、そのことを全く知らなかった。『記録には興味ないから』と言ってました」(芸能プロ関係者)
プロ野球の解説者としても活躍したが、板東さんらしいこんな話も。
「甲子園で、当時弱かった阪神の試合をラジオで解説したんですが、7回が終わって5~6点差で阪神が負けてたんです。すると板東さん、『こんなの逆転できるわけない』『お客さんも帰った方がいい』とか言い出したら、何と阪神が逆転して勝ってしまった。当時、ラジオを聞きながら観戦する人も多かったので、スタンドは『板東出てこい!』と大合唱となり、放送席で板東さんが頭を下げて謝った。それが翌日、スポーツ紙の1面になったんです」(同)
芸能界入りしてからは多くのタレントと親交があった板東さんだが、中でも関係が深かったのは11年に芸能界を引退した紳助さんだ。引退後、紳助さんは一度も復帰していないが、板東さんは「オレが必ず復帰させる!」と意気盛んだった。
実は板東さんは、紳助さんとある約束を結んでいた。それは「板東さんの最期について、オレが番組をやる」というもの。タイトルも決まっていて、ズバリ「板東英二、今夜も徘徊」。内容はすっかりボケてしまった板東さんが徘徊するところを、紳助さんが密着して撮影するというものだ。
板東さんは申告漏れで芸能活動を一時休止してから14年に復帰したが、その際にこの約束を明かした。
「東京で深夜12時から紳助が僕を追い回すんです。『板東さん、そんなとこで小便するな!』、『そんなもの拾うな!』って言いながら朝の6時までね。それが終わったら次は大阪、その後名古屋で3回やる」
板東さんの番組をやるという約束は守れなかった紳助さんだが、2人の絆がそれほど強かったのは間違いない。













