元日本代表FW武田修宏氏(58)が静岡・清水東高時代の先輩で同FW長谷川健太氏(60)と対談し〝ドーハの悲劇〟と呼ばれる1993年米国W杯アジア最終予選について振り返った。

 武田氏(以下武田)健太さんはその後、清水東(静岡)から筑波大、日産自動車(現横浜M)に進みます。大学を卒業するとき、他にオファーは?

 長谷川氏(以下長谷川)読売クラブ(現東京V)から話はあったけど(同期で読売入りする)堀池の方が良い条件だった。あとヤマハ(現ジュビロ磐田)から「三羽がらすを取りたい」って。破格の好条件で驚いたけど、加茂(周監督)さんと食事して、読売より条件の良かった日産に決めたんだよ。

 武田 詳しくは知りませんでした。日本リーグ時代はあまり接点がなかったですよね。会場で顔を合わせるくらいで。日産と読売のライバル関係がありましたもん。でも日本代表で一緒になりました。

 長谷川 日本代表が注目されていない時代だろ? 日当3000円。日産で試合に出た方が勝利給で稼げた。タケはもらっていただろうけど、1か月も拘束されて…そういう時代だったよな。

 武田 そのころから時代が変わって、1993年からプロ化、Jリーグが発足することになりましたよね。どんなことを考えてました?

 長谷川 プロになるだろうと思ってやってきたから。日産を辞めて清水に戻って。地元でJリーグ元年を迎えるのは感慨深かった。清水はカズ(三浦知良)にも声かけていたし、読売から堀池(巧)も(三浦)泰年も来て。タケは来なかったけどね。

 武田 オレ? そんな話…清水? 当時は特に聞いていないんだよね。

 長谷川 武田に声がかからないはずはない。読売クラブがブロックしていたのかな?

 武田 その年にドーハ(米国W杯アジア最終予選)があって。健太さんはコートジボワール戦から代表に入って。全試合出てますよね。どう考えていました? ドーハのことはあまり語っていないですよね。

「ドーハの悲劇」を経験した日本代表
「ドーハの悲劇」を経験した日本代表

 長谷川 あの時は経験不足だったかなって。世界に行くための経験値が足りなかったと自分に言い聞かせていた。その後にフランスW杯を目指していたけど、加茂さんのときにケガをキッカケに外れて。やっぱり(チャンスだった)米国W杯に出たかったよ。

 武田 ドーハは気候的にもきつかったし。重圧も。W杯に行けず悔しかったけど、あの経験があったからみんな成長できたんじゃないですか。

 長谷川 アディショナルタイムに武田がキープしていれば「勝てた」とか言われているけど、そんな場面もやってないし、ショートコーナーの対策もやってない。そういう時代を経験し、ジョホールバル(フランスW杯出場権を獲得したアジア第3代表決定戦)があってフランスに出られた思うよ。

 武田 ところで健太さんがドーハの話を避けてきた理由って? ラモス(瑠偉)さんは今でも映像は見ていないし「見たくない」と言っています。同じような感じ?

 長谷川 確かに語っていないけど…。話している選手の内容を聞いてもハーフタイムに「いつもと違っていた」とか言っているけど、覚えていない。ドーハで印象深いのは福田(正博)の調子が悪くて。代わりにオレが出ることが多くなったけど、福田と2人部屋だったから、気まずくて。

 武田 自分も高木(琢也)が出場停止になって繰り上がりで韓国戦に途中から出場して、そこでよかったから最終戦(イラク戦)で使ってもらった。当時、森保のイメージってあります?

 長谷川 あんまりないかな。俺も森保もそんな話すようなタイプではなかったし。そう言えばリラックスルームに日本から届いた新聞記事が貼ってあって「あと1勝すればW杯だ」とか盛り上がっていたけど、武田が「健太さん、PKになったら蹴ります?」って聞いてきてさ。

 武田 そうそう。W杯に出たら世界が変わる、歴史が変わるとか、みんなで盛り上がっていたけど、ここで負けたら日本に帰れないとか、PK外したら、どうしようとか、そういう話もしていましたね。

 長谷川 たしか「怖いよな」って答えたかな。盛り上がっていたし、勝たなきゃな、負けらないなって話になったよな。

 武田 チームはみんな仲良かったし。ラモス(瑠偉)さんっていうリーダー、引き締め役のテツ(柱谷哲二)さん、ムードメーカーの都波(敏史)さんがいて…。

 長谷川 イタリアW杯アジア予選のメンバーにダイナスティカップ、アジアカップ優勝のメンバーが加わって。結果は残念だったけど、すごいチームだったと思うよ。