元日本代表FW武田修宏氏(58)が尊敬する静岡・清水東高時代の先輩で同FW長谷川健太氏(60)と本音トークを繰り広げ「清水東三羽がらす」との意外な関係性について明かした。

 武田氏(以下武田)お久しぶりですね。忙しい中、ありがとうございます。まずは高校時代の話から。全国大会で優勝(1982年度)した健太さんの姿にあこがれて清水東高に行くことを決めました。お会いしたのは春キャンプが初めてでしたね。

 長谷川氏(以下長谷川)神童と呼ばれていた武田が入学すると聞いても、特別なものはなかったよ。俺ら(清水東に来る選手は)みんな神童だから。「浜松からうまい子が入ってくるみたいよ」って感じで聞いていたけど。それまでに日本一を経験している選手が多かったから。

 武田 健太さんはテレビで見ていた人で憧れというか…。1年の時の3年生でキャプテンは雲の上の人。大榎(克己)さんと堀池(巧)さんの「三羽がらす」でキャプテンの建太さんにいつも恐縮していた。ずっと「長谷川健太」っていう存在感があったので…。今も、そういう関係です。

 長谷川 ハハハ。そう言えば清水東は伝統的に3トップでセンターフォワード(CF)は3年がやること多い。最初はオレがやっていたけど、1年の武田はサイド苦手で。オレの調子も悪く(勝沢要)監督から『CFは武田』と言われた。まあお前に右サイドはできないし、仕方ないなって。

 武田 え、そんな事情があったんですね? 初めて知りました。健太さんから聞かなかったら一生知らなかったです。

 長谷川 まあ、1年生の武田は点を取るから認めざる得ない。(選手権の)県予選から武田がCF、オレは右サイドに戻って。それで全国大会に出て決勝は帝京(東京)に負けたんけど、決定機がたくさんあったのにお前がことごとく外したよな。俺もバカみたいにクロスばっかり上げて。自分で行くべきだったなと反省したけど、良い思い出だよ。

清水東時代の長谷川健太氏(左、84年)
清水東時代の長谷川健太氏(左、84年)

 武田 当時の清水東って文武両道で人気ありましたね。全国から注目されていましたし、練習に大勢の人が来ていたし、女子高生も多く見学に来ていましたけど、当時はどう思っていました?

 長谷川 まあ、清水東が全国大会(80年度)で準優勝して82年度に優勝したのはあったんじゃないか。全国で勝つと盛り上がるから。それと83年に武田が来て。くりくり丸刈り頭でかわいい顔していたから「キャーキャー」言われていた。その年(83年度)に準優勝。そこからはすごかったな。

 武田 そう言えば健太さんは、ずっと「三羽がらす」と言われている。今でも、そう呼ばれることありますよね。

 長谷川 別に嫌じゃなかったし、プレッシャーになってなかったよ。1人だったら違ったかもしれないけど、3人だから。気持ち的には無敵というか強くなったように感じていたよ。3本の矢じゃないけど、3人ならどこでも「負けない」って気持ちはあった。

 武田「三羽がらす」でいえば、健太さんに絶対服従でしたね。それで大榎さんはソフトな感じだったし、巧さんは何事も「まあまあ」ってタイプ。それが僕の中で位置づけ。健太さんに「武田!」って怒られて、大榎さんが「気にすんな」って慰めてくれて、巧さんは「またか」と横目で見ている感じでした。

 長谷川 オレは同じポジションだったから(1年生の武田に対して)厳しめだったかな。

 武田 健太さんにとって高校サッカーはどんなものでした? あの時代は日本サッカーで一番注目される大会でした。練習は厳しかったけど、どう感じてました?

 長谷川 オレにとって高校サッカーはすべてだったね。卒業して筑波大に進んだけど、燃え尽き症候群だったしね。大学で試合には使ってもらったけど、先生方にはだいぶ迷惑をかけた。実業団のオファー? 先生になりたいっていう気持ちもあったから。まだプロもなかったし、サッカーでメシを食える時代ではなかったから。

 武田 高校時代の勝沢(要)監督は、どんな存在でした?

 長谷川 今思えば、勝沢先生と会わなければ今はないと思ってるよ。あの3年間がなかったら…。悔しい思いもしたし、厳しい指導もされたけどね。お世辞抜きで。