【プロレス蔵出し写真館】台風22号の影響で、両国駅周辺は暴風雨が吹き荒れ水害被害も発生した。新日本プロレスの両国国技館大会は、そんな状況下にもかかわらず超満員1万1000人の観衆で埋まった。
今から21年前の2004年(平成16年)10月9日、この日のメインは佐々木健介が藤田和之に挑戦するIWGPヘビー級選手権試合。リングサイドでは健介の妻、元女子プロレスラーの北斗晶が2人の子供を連れて見守った。
休憩明けには長州力が登場するハプニングが勃発。「オレはリングのど真ん中に立っている!」とタンカを切ると、大歓声で迎えた観客から「長州コール」が湧き起こる。それに反発して対峙した永田裕志を「天下を取り損ねた男」とこき下ろし、ヒールターンしていた獣神サンダー・ライガーも加わり、乱闘を繰り広げた。
長州は早々に引き揚げたが、館内は大いに盛り上がり雰囲気が整った。
さて、メインで健介と藤田が向かい合う。藤田は薄ら笑いを浮かべる。ゴングが鳴り、健介はロープに飛んでいきなりラリアート。藤田はそれをかわし、スリーパーホールドで捕らえた。そのままグラウンドに移行して胴締めスリーパー。すると、田山正雄レフェリーが藤田の背中がマットに着いているとしてカウントを数える。カウント2で慌ててスリーパーを解く藤田。
その後、藤田はストンピングを乱打。ロープブレークを無視して続ける藤田に注意を与える田山レフェリー。健介はレフェリーに気を取られる藤田にラリアート。そしてチョップとエルボーの応酬の後、健介がラリアートを決め、さらにもう1発見舞ってノーザンライトボムでマットに叩きつけた。起き上がる藤田に、ロープに飛んでトドメのラリアートに行く健介。藤田は再度スリーパーで捕獲する。
そのまま後ろに倒れて再び胴締めスリーパー(写真)。田山レフェリーは、ちゅうちょすることなくカウント3を数え、藤田のフォール負けだ。
わずか2分29秒、体固めの裁定で健介が王座を奪取。戸惑うそぶりも見せた健介だが、コーナーに上がり観客に勝ちをアピールした。藤田はさっさとリングを後にした。館内は激しいブーイングの嵐と「金返せ!」のヤジで大荒れだ。
メインイベントがわずか2分29秒、〝フィニッシュホールドなし〟で終了。この結末に〝鬼嫁〟北斗が激怒した。長男・健之介君の手を引き、次男・誠之介君を抱きながら「こんなんでいいのか!」。そう言うや否や、すぐ近くに座っていた新日プロの草間政一社長の机を蹴飛ばす。
控室でも勝利者トロフィーを破壊し「フリーだと思ってなめんじゃねえ!」と怒鳴り散らし、健介と早々に会場から引き揚げた。
翌日になっても怒りの収まらない北斗は「普通、ああいう終わり方だったら、リング上で説明があったり延長戦になったりするだろ。ファンが納得できるようにするだろ。K-1やPRIDEとかは、そうじゃねえか。それなのに新日本の社長はリングサイドで薄ら笑いしているだけで、動こうともしない。あれが新日本の選手同士だったら、あのままにしておいたのか」とまくし立てた。
さらに「一体、新日本の社長は何のためにリングサイドに座っているのか。経費削減のためにフリーの選手を切るとか言ってるらしいが、お前が一番ムダじゃねえか。お前なんて辞めちまえ。フリーを切るのはいいが、その前に価値を落とすな!」と収まらなかった。
健介は03年10月、WJ所属選手からフリー契約に替えて長州のWJプロレスに参戦していたが、同年12月9日に新日プロの大阪大会に殴り込み、宣戦布告した。
フリーとして、翌年1月4日の東京ドーム大会から新日プロに参戦したが、ドラゴンゲートではフロリダブラザーズのケンスキーとしても活躍。かつての新日本時代には考えられなかった〝柔軟な〟ファイトぶりを披露して好評を博していた。
〝商品価値〟をおとしめる扱いに北斗はキレていた。
ところで、健介の新日プロ参戦と両国での長州登場を画策したのは、当時、マッチメークを任せられた執行役員の上井文彦氏。
上井氏は両国大会を振り返り「あの日は朝、(京都府)峰山町の中邑真輔の祖母の告別式に参列していた。その日のうちに神戸空港から台風の中、飛行機で東京へ戻って両国へ駆けつけた。自分がマッチメークしてたから、間に合ってよかったと思ったら、館内も〝暴風〟だったね」と語る。
「控室に行かなくて良かったなと思った。だって草間が北斗に蹴られたんでしょ。行ってたらオレが責任者だから、北斗に『上井さん、こんな試合組んで!』って言われて蹴られてたよ、絶対」(上井氏)
また、テレビでゲスト解説を務めていた高山善廣はメイン終了後、話を振られ「これは、でも駄目だろ」。あきれたように吐き捨てた。
健介 vs 藤田戦は、まさに、当時〝暗黒時代〟と言われた、新日本プロレスを象徴する試合だった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













