2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした。フィギュアスケート男子で五輪2連覇を達成したプロスケーター・羽生結弦(31)は、東北高1年時にアイスリンク仙台で被災し、避難所生活も経験した。復興の象徴として走り続けたスケーターは15年がたった今、何を思うのか――。本紙の単独インタビュー全2回の後編では“プロ”としての矜持に迫った。
――25年夏に「メンテナンス期間を設ける」と発表したが、狙いは
羽生 もっとうまくなりたいと思ったからです。正直アイスショーを続けながら身体的レベルの向上を並行していくのがやっぱり難しくて…。競技者の時は競技レベルを上げることだけに注力すればよかったけど、今は創作もしながらなので、やらなきゃいけないことがたくさんある。そこで8か月ぐらい時間を取らせていただきました。
――東日本大震災の発生から15年のタイミングで開催された「羽生結弦 notte stellata」が約8か月ぶりのアイスショーだった
羽生 体の可動域とか、使いこなせる体の柔軟性はだいぶ上がりましたね。元々可動域は広かったけど、表現の手法としてちゃんと落とし込むためには、どんな体の使い方をするべきかを頭で理解するだけじゃなくて、この曲だったらこうしたいと思った時に自然と出てくることが増えました。
――モチベーションの高さは健在だ
羽生 保とうとしているわけではなくて、うまくなりたいという信念だけですかね。人間って何かを見た時に、続編があるとしたら、それ以上を期待してしまうじゃないですか。期待に応え続けるためには、常にうまくなりたいし、僕自身も感情やいろんなものを伝えようと思っている時に、まだまだ自分の技術が不完全すぎて嫌だなと思うことが多々あります。うまくなりたいという信念もだけど「この下手くそな自分を許せない」という気持ちの方が強いかもしれないですね。
――その姿勢が後輩たちにとって憧れの存在になっているのでは
羽生 いろんなスケーターが憧れの存在として僕の名前を出してくださるのはすごいうれしいけど、何かを受け継いでほしいとか、押し付けようとはしていないです。でも時間の流れは若干感じましたね(笑い)。昔の僕も憧れのスケーターに近づきたいと思って頑張ってきたので。ただ、憧れられるのはうれしいけど、まだまだうまくならなきゃって必死です。
――この先、羽生選手が見たい景色はあるのか
羽生 多分一生自分の演技は汚いなと思うだろうし、下手くそだなと思うだろうし、一生自分のスケートに対して満足することはないと思います。楽しくない時の方が多いけど、達成できた時の方が絶対うれしいんですよね。楽しくはないけど、下手だなって胸を張れないような演技をしている自分の方がよっぽど嫌なので、やれること全部やって「ここまでは努力しました」と言えるぐらいの自分を毎回更新していきたいです。
はにゅう・ゆづる 1994年12月7日生まれ。宮城・仙台市出身。2014年ソチ五輪、18年平昌五輪で金メダル。20年には4大陸選手権も制し、男子初のスーパースラム(主要国際大会6冠)を達成した。22年7月にプロ転向。現在は座長として数々のアイスショーを成功させている。












