2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした。約1万6000人の命を奪い、約2500人の行方が今もわかっていない。フィギュアスケート男子で五輪2連覇を達成したプロスケーター・羽生結弦(31)は、東北高1年時にアイスリンク仙台で被災し、避難所生活も経験した。復興の象徴として走り続けたスケーターは、15年がたった今何を思うのか――。本紙の単独インタビュー全2回の前編では“伝承者”としての誓いに迫った。

 ――11日で東日本大震災の発生から15年だ

 羽生 15年も経過したという気持ちと、思い返してみると、濃い日々もたくさんあったし、流れていく日々もたくさんあったので、15年が経過したよなという実感もあります。

 ――震災について考える機会が増えた

 羽生 今まではどちらかといえば、アイスショーについて「どう思いますか?」や訪れた場所での感情や人々の思いを伝える仕事が多かったので、自分自身の被災体験に焦点を当てることがありませんでした。でも15年という一つの節目を迎えて、振り返るきっかけになったし、ちょっとずつ自分のつらさ、過去、そこから進んできた日々や、進んでいるけど変わってない部分、傷痕もあるんだなと改めて感じました。

 ――直近の「羽生結弦 notte stellata」では「生」や「命」について発信する姿が印象的だった

 羽生 3・11の時のことを思い出してもそうだし、今の世界情勢があまりにも不安定的で、コロナ禍の時もそうだったけど、僕らってどちらかというと不要不急なものと言われてしまえばそれまでじゃないですか。コロナ禍ではリンクが使えない状況もあったので、スケートがやれなくなる未来もなくはないんだろうなと。だからこそ今ある命やスケートをしている感覚、スケートを見ていただけている感覚とかを大事にしながら、生きていかなくちゃいけないなと思っています。

 ――故郷・仙台市の観光アンバサダーなど、リンク外でも積極的に活動を続ける理由は

 羽生 五輪の金メダルを持っている人間だからこそ、できることだと思っているからです。金メダルを持って母校や被災地を訪れたりとかする中で、金メダルを見た経験、触った経験だけで、その一瞬だけでも元気になれるきっかけにはなれていると感じました。それは特別なことで、スケートで届け続けるメッセージももちろん大事だけど、スケート以外の活動も大切な使命なのかなと思っています。

 ――東日本大震災について今後はどのように伝えていく必要があるか

 羽生「notte stellata」で共演した東北ユースオーケストラさんの小中学生のように、3・11の記憶がない子供たちが増えていることを感じました。そういう子たちにつらい記憶を共有するわけではなく、いろんな防災、減災のことを学んで知っていただくきっかけとして常にあり続けられたらと思っていて、大切なものを守るための意識を僕らは3・11から学べたと思うし、学ばなきゃいけないと思っているので、大切につないでいきたいです。
 (後編に続く)