フィギュアスケート男子で五輪2連覇を達成したプロスケーター・羽生結弦(31)が座長を務める「羽生結弦 notte stellata」が、7~9日に宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで開催される。自身も被災した東日本大震災の発生から11日で15年。幼少期に羽生が育ったアイスリンク仙台でスケートに励んだ鈴木なつ(関大4年)が本紙の取材に応じ、復興支援が東北の方々に与えた〝力〟について証言。故郷の再起を願う強い思いは後輩たちにも届いていた。

 2011年3月11日午後2時46分。約2万人が亡くなった未曾有の大震災は、日常を大きく変えた。羽生や鈴木が滑っていたアイスリンク仙台も被災し、約4か月間の休業を強いられた。鈴木は「当時は小学1、2年でまだスケートを始めたばかりだったけど、練習できないのが残念だったし、長期間何もできなかった」と振り返る。

アイスリンク仙台を拠点に練習していた小学校時代の鈴木なつ(本人提供)
アイスリンク仙台を拠点に練習していた小学校時代の鈴木なつ(本人提供)

 羽生も全国各地を転々としながら練習をこなす日々を過ごしていた。その合間に数々のアイスショーに参加。営業再開後のアイスリンク仙台でも自身の滑りを披露した。鈴木は「スケートを通して地元に貢献というか、少しでも元気を届けたい思いは伝わっていた。トップスケーターの演技を間近で見たのが初めてだったので、私も頑張ろうと思えたし、素直に感動して見ていたことを覚えている」と明かした。

 鈴木は羽生と同じ小中学校出身。母校に五輪の金メダルを持って訪問した出来事は今でもよく覚えているという。「小学4年の時だったと思うが、初めて金メダルを獲得した2014年ソチ五輪が終わってすぐくらいの時期に金メダルを持って来てくださった。体育館で講演のような話をしてくれて感動したし、こういった一つひとつの行動が復興にもつながっていると思う」としみじみ語った。

 他にもアイスリンク仙台に1億円以上を寄付するなど、さまざまな形で地元に貢献。その一方で時間の経過による課題もある。鈴木は「関西に住んでいた時に震災関連の話になったら、先輩から『あれ、私生まれていたっけ?』みたいなことを言われたことがあった。仙台に縁がある人間からするとやっぱり何年たっても忘れられてはいけないものだと思う」と指摘した。

 羽生も同様の感情を抱いている。「風化させないためのきっかけづくり」として、多くの活動を行ってきた。その一つが「羽生結弦 notte stellata」だ。鈴木は「有名な方が震災についてどれだけ大変だったかなどを何年経っても伝え続けてくれることは宮城、東北の人にとってはすごくありがたいこと」と感謝を口にした。

 宮城で生まれ育ったスケーターとして、誰よりも地元のために活動してきた羽生。ブレない気持ちは次世代に受け継がれていく。