【プロレス蔵出し写真館】武藤敬司が、まさかの〝格下〟相手マイク・イーノスにパワースラム1発でフォール負けを喫した。

「なんだよ、わけわかんないよ。手を抜いてるわけじゃないのに…。ウォーッ」。そう叫ぶと、控室ではなく会場外へ飛び出した。外は一面の雪。山になった雪の上に、前のめりに突っ込んだ。気温はマイナス4度。体から湯気が立ち上っていた(写真)。

 今から31年前、1995年(平成7年)2月7日の新日本プロレス、青森・弘前市民体育館での出来事だ。

 武藤のケチのつきはじめは4日前、2月3日の札幌大会だった。IWGP王座挑戦者決定戦で〝超竜〟スコット・ノートンと激突。「レスラー生命をかける」と宣言していた武藤は、果敢に攻めた。ノートンの丸太のような左腕に関節技で集中砲火を浴びせる。アームブリーカーにキーロック、ワキ固め。逆十字固めも繰り出した。しかし、ノートンは圧倒的なパワーではね返し、ラリアート1発でムードを一変させてしまう。

 武藤はフランケンシュタイナーで飛びつくも、パワーボムで切り返される。そして、ショルダーバスターを食らい、豪快無比なパワースラムでフォールを奪われた。控室へ戻る通路で倒れ込み、イスに座っても顔を上げられない。見かねた長州力が肩を叩いて引き揚げさせた。

 さらに驚いたのは5日の函館大会だ。武藤は長州とタッグを組み、J・J・ジャックス(飯塚孝之=後の高史&野上彰)と対戦。パートナーの長州が「武藤、コラ!」と檄を飛ばすほど、気持ちが入っていない。最後は野上のジャーマンからドラゴンスープレックスを食らい3カウントを聞いた。

「エーッ!」。会場には驚きのため息が渦巻いた。リング中央でマットに顔をうずめる武藤。長州は無言で引き揚げ、J・Jもテーマ曲に乗って凱旋していく。ただ1人、武藤が取り残された。
 
 試合後、武藤は「ここ2、3年、(グレート)ムタを超えるのが目標だったけど、まるで平行線。いや、下り坂だ」。らしくないセリフが口をつく。

 ムタとしてはIWGPヘビー級王座を戴冠していた。グレーテスト18クラブ、NWA世界ヘビー級王者にもなっている。まさに、〝表の顔〟の武藤とは対照的な〝裏の顔〟だったのだ。

 8日、宮城・仙台大会の試合前に会見した武藤は「無期限欠場」を発表した。「自分を見失い、ノートン戦以来リングに上がるのも怖い。期間はわからないが、今はとにかく休みたい」と自信喪失を口にした。この日のリングにはムタが登場。〝超巨人〟エル・ヒガンテを相手に〝ムタワールド〟を展開。毒霧を噴射し、ムーンサルトプレスを決めて葬った。

 さて、19日に米メリーランド州ボルティモアで開催されたWCW「スーパー・ブロウル」を観戦する武藤の姿がカメラにとらえられた。24日にはニューヨークのマンハッタンで東スポ通信員の取材を受けた。

「自由の女神へ行こうよ」。武藤が誘い、ブロードウェーからバッテリーパークへ。桟橋から船に乗った。

「せっかくだから上ってみよう」。30分以上も行列に並び、数百段もある階段を上り始めた。15分上り続けて、女神の足元に到着。さらに狭くて急ならせん階段を一歩ずつ、女神の冠まで一気に上った。

「武藤はちゃんとてっぺんまで上った。『下りてくるとき頭を3回ぶつけた』と笑顔を見せてた」と通信員が伝えてきた。

自由の女神を見学した武藤(1995年2月、米ニューヨーク)
自由の女神を見学した武藤(1995年2月、米ニューヨーク)

 帰国後の3月23日、新潟・三島郡越路町(現・長岡市)の満光寺で武藤は座禅を組んだ。テレビ朝日とマスコミ向けのものだったが、先乗りで武藤に同行した新日のオフィシャルカメラマン山本正二さんは「朝からランニングや縄跳びで汗を流していた。写経も書いてた。マスコミが集まってから座禅で絵づくりした。帰京してから和尚さんが、『新聞報道で知ったファン数人が、その日の午後〝座禅をしたい〟ってお寺を訪ねてきた』と教えてくれた。『プロレスファンってすごいですね』って驚いてた(笑い)」。

座禅を組む武藤(1995年3月、新潟・三島郡越路町の満光寺)
座禅を組む武藤(1995年3月、新潟・三島郡越路町の満光寺)

 ヒゲ面でイメチェンした武藤は、4月16日に広島大会で天山広吉と復帰戦を行った。試合には敗れたが、「吹っ切れた。IWGPのベルト、自信あるよ」と笑顔で語った。

 言葉通り、5月3日の福岡ドームで橋本真也に挑戦。ジャーマンからドラゴンスープレックスで叩きつけ、ムーンサルトプレス2連発で仕留め、見事にIWGPヘビー級王座を奪取。第17代王者に輝いた。

 5万2000人の大観衆は武藤コールで歓迎。「今日から武藤敬司はバク進します。このベルトとともに、まだまだ成長していきます」と応えた。

 さらに8月15日の両国大会では橋本を破り、G1クライマックスで初優勝を果たす。IWGP王者はG1制覇できないという〝ジンクス〟を破って〝2冠王〟となった。武藤は再び「武藤敬司はますますバク進します」とマイクで宣言した。

 この勢いのまま、10月9日の東京ドームで行われたUWFインターナショナルとの全面対抗戦で高田延彦を撃破。武藤は新日不動のエースの称号を手にしたのだ。

 後に武藤は「95年は最終的にプロレス大賞(MVP)も取れたんで、思い出の年」と語り、座禅を組んだ満光寺は〝武藤がスランプを克服した寺〟として知られることとなった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る