フリースタイルスキー女子でミラノ・コルティナ五輪代表の近藤心音(オリエンタルバイオ)は、特別な思いを胸に4年間を駆け抜いた。前回の北京五輪では本番直前のケガでビッグエア(BA)とスロープスタイル(SP)を欠場。どん底を味わいながらも、決して夢をあきらめることはなかった。
前回の北京五輪時はBAの公式練習中に転倒し、同種目の出場を断念。SPの出場を目指したが、公式練習中に再び転倒した。「転んでしまった時は痛みで何も考えられなくて、救急車に乗った時くらいに『もうこれでたぶん私、出られないんだな』」と感じた」。自分の実力を試せないまま、初めての五輪が終わってしまった。
日本に帰国後は「サポート、応援してくれた人たちに申し訳ないという気持ちで自分が押し潰されそうだった」。ヒザと脱臼グセのあった肩を手術するなど、思うようにいかない日々が続いた。それでも、母・聖子さんは「今やってることは、他の人だったらできないんじゃないかな」と声掛け。マイナスの感情で苦しむ近藤にとって、母の前向きな言葉は大きな力となった。
北京五輪から約10か月。雪上に帰ってきた近藤は「2026年の五輪でメダルを持って日本に帰りたい。それが夢ではなく、ちゃんと目標として自分の中で掲げ続けられるようにしたい」とリスタート。困難を乗り越え、ミラノ・コルティナ五輪の切符を勝ち取ったが、運命は残酷だった。
5日の公式練習中に転倒して救急車で搬送。左ひざ前十字靭帯損傷などの重傷だった。ギリギリまで出場を見据え、できる限りメニューはこなした。しかし、この日のSP予選を欠場。BA予選も欠場する意向を示した。これには近藤をサポートしてきた関係者も「こんなところでまだケガなんて…」と肩を落とした。
2度目の五輪もまさかの形で幕切れ。4年間の努力をイタリアの地で証明することはできなかった。それでも、近藤はカメラの前でしっかりと自身の思いを口にした。
「予選も出るつもりでトレーニングに最後まで取り組むことができて、私としては北京と同じではないと断言できる。この場にいずに逃げることができたけど、この場があるなら最後まで自分の言葉で表に出るべきだと思ったので、自分は強いなと感じている」
前回大会と結果は同じかもしれない。ただ、目の前に広がっている景色は異なるもの。積み重ねてきた日々が決して色あせることはない。












