やはり“大谷背番号譲渡”は特例だったのか。ドジャースが他球団との争奪戦を制したカイル・タッカー外野手(29=前カブス)の入団会見が21日(日本時間22日)、本拠地ドジャー・スタジアムで行われた。一方で大谷翔平投手(31)が2023年にFA移籍した際にナインから背番号「17」を譲渡させておきながら、ドジャースのデーブ・ロバーツ監督(53)はタッカーの前背番号とかぶっていた自身の「30」をかたくなに“死守”。そこには亡き恩師の「遺言」の存在があったというが…。
4年2億4000万ドル(約380億円)の大型契約で、タッカーがドジャースのユニホームに袖を通した。同席したロバーツ監督は「打順は2、3番を任せるつもりだ。得点力の向上が望める」とワールドシリーズ(WS)2連覇をもたらした「1番・大谷、2番・ベッツ、3番・フリーマン」の「MVP打線」にメスを入れる最高の評価を披露した。
そのタッカーの新背番号はアストロズで5年、カブスで1年と計6年間背負った「30」ではなく「23」だった。
米メディア「SBネーション」が、その理由について詳報。ロバーツ監督は16年の指揮官就任時、ドジャース選手時代の「30」を選択した。元マリナーズ監督であり、現役時代にはナ・リーグ計6度の盗塁王に輝いたドジャース歴代最多盗塁王の故モーリー・ウィルス氏(享年89)から引き継いだ番号だった。
自身も盗塁にこだわったロバーツ監督にとってウィルス氏は師匠だった。22年9月に亡くなった際には、「彼は友人であり、父であり、指導者であり、その全てでした。今回は本当につらいです」と嘆いた。
「彼は私に自分の技術の価値、そしてメジャーリーガーであることの意味を教えてくれました。彼は教えるのが大好きでした。私の興奮、情熱、そして選手への愛の多くは、彼から来ています」と感謝は尽きなかった。
そのウィルス氏が最後に「30」を着用した1972年以来、ドジャースでは23選手が「30」を着用。新背番号について、タッカーと話し合いを持ったというロバーツ監督は「タック(タッカー)との話は楽しかった。だけどそれ以上に…モーリーと私は本当に素晴らしい関係だった」。その上で「モーリーは『ああ、僕が死んだら、この番号(30)を着る人が誰もいなくなるといいな』とも話していた。僕にとって本当に大切な番号なので、そのことについて話し合った」とも続け、恩師が「永久欠番化」を望んでいたと明かした。
同記事は「ロバーツが監督を辞めれば数年で殿堂入りは間違いない。ドジャースは殿堂入り選手の背番号を永久欠番としてきた」と指摘し、故人の希望がかなうとした。
指揮官の思いを聞いたタッカーは新背番号として「23」を選択。元アストロズのマイケル・ブラントリー氏(38)がかつて背負っていた背番号だった。タッカーは「(ロバーツ監督が)ウィルスを尊敬し、彼のメンターのような存在で、これからの人生で彼が彼のために背番号をつけたいと思っていたから。僕も23番とブラントリーを背負って、同じようなことを思ったんだ」と説明。「彼はアストロズ時代、よく一緒に遊んでいた素晴らしい野球選手で親友の一人だった。それが僕が23番を選んだ大きな理由だった」とも口にし、納得の表情を見せた。
ドジャースの背番号といえば、大谷のエンゼルスからの移籍時に「17」を譲ったのが昨季限りで引退したジョー・ケリー氏(38)。大谷はお礼として夫人のアシュリーさんにポルシェを贈り、大きな話題となったのは記憶に新しいところだ。
メッツ、ブルージェイズとの争奪戦を制し「三顧の礼」で迎えた大物相手でもロバーツ監督は頑として譲らず。試合での継投で同じ失敗を繰り返してもかたくなに方針を変えない指揮官が、亡き師との“約束”を果たすため強い意志でタッカー、そして大谷らとともにWS3連覇を目指す。












