【平成球界裏面史 近鉄編138】近鉄が消滅してから7年後の平成23年(11年)、北川博敏はオリックスバファローズのベテラン選手として沖縄・宮古島キャンプで練習に励んでいた。だが、キャンプ中に左腓骨骨折と肉離れを併発。3月11日に東日本大震災が発生した影響で開幕が遅れたため、開幕スタメンには間に合ったが、完治せぬままの強行出場は確実に体にダメージを残していた。

澤村から決勝2ランを打った北川(2011年6月12日)
澤村から決勝2ランを打った北川(2011年6月12日)

 5番・指名打者や代打での出場で存在感をアピール。6月12日の交流戦・巨人戦(京セラ)では8回に澤村拓一から決勝2ランを放つなど変わらぬ勝負強さを発揮していた。だが、6月26日のロッテ戦(千葉マリン)で7回に左翼線に安打を放ち、二塁へ向かいオーバーランした際に左足を負傷。途中交代し応急処置を受け帰阪後、精密検査を受けた結果がアキレス腱断裂で全治6か月という大怪我となってしまった。39歳を迎えるシーズンでの故障は痛すぎた。

 このシーズン、チームは69勝68敗7分けで勝率5割3厘6毛という好成績ながら、西武に1毛及ばずクライマックスシリーズ進出を逃した。北川が故障離脱した後の指名打者には助っ人のヘスマンや荒金久雄らが入り、カバーしたものの戦力ダウンした感覚を拭うことはできなかった。

 平成24年(12年)は故障から復帰し開幕一軍入り。6月5日のヤクルト戦(京セラ)で8回、押本健彦からアキレス腱断裂後初本塁打を放った。試合後にはヒーローインタビューを固辞し、担当記者の囲み取材に対応したときには「なんか引退する時みたいやん。まだやめませんよ」とコメントした。

 だが、結果としてこれが北川の現役最後となる102本目の本塁打となった。当然、現役選手として弱音を吐くわけにはいかない。7月16日に登録抹消され時、「もう潮時かな」と思った事を引退会見で吐露したが、40歳のベテランは胸を張ってプレーを続けた。

 岡田彰布監督が就任し3年目となったこのシーズン、チームが噛み合わず最下位と低迷した。そんな中、北川は10月3日に現役引退を発表。同7日の本拠地最終戦となった西武戦(京セラ)が引退試合となった。5番・一塁でスタメン出場し5回二死二塁から左越えに適時二塁打を放った。これが現役1264試合目、1076安打目、536打点目となった。

緩急で打者を翻弄したロッテ・渡辺俊介(2011年)
緩急で打者を翻弄したロッテ・渡辺俊介(2011年)

 現役時代はロッテのサブマリン投手・渡辺俊介を得意とすることで有名だった。通常、右のアンダースロー、サイドスローには左打者が有利とされるが、渡辺に関してはそんな常識も通用しなかった。それでも、右のスラッガータイプの北川が見事に対応。現役中はそのコツを公言することはできなかったが、周辺取材した結果、独自の方法で視界を遮ることで攻略していることが判明した。

 超スローカーブを待ちきれない反面、高めに浮いてくる120キロほどの直球が快速球に感じてしまう錯覚を解消できない打者が多い中、北川は高めの速球をボール球と割り切って視界に入れない方法を編み出したという。

 こういった独特の感性は指導者として大いに重宝されていくことになる。