【赤ペン!】長嶋茂雄さんが生きている間にちゃんと聞いておくんだった。6月3日の他界から半年余り、今も後悔することがある。

入団会見で笑顔の長嶋さん。左は品川主計球団社長(57年)
入団会見で笑顔の長嶋さん。左は品川主計球団社長(57年)

 何しろ、1957年末の巨人入団の経緯からして謎が多い。ドラフト制度がなかった当時、南海(現ソフトバンク)は立教大の長嶋さんに「栄養費」として月2万円を渡していた。大卒初任給が8000円の時代にである。実際に現金を渡していた南海の選手、立大の先輩・大沢啓二氏が明かした話だ。

 それにもかかわらず、長嶋さんが巨人を選んだため「読売は南海以上に金を積んだのでは」と後々までうわさされた。ところが、長嶋さんは87年、作家・井上ひさし氏との対談でこう話している。

「僕の契約金、(巨人の)1800万円じゃ安いって、ずいぶん疑問を持ちました。中日が2350万円。金だけのことだったら、中日に行きましたね」(演劇雑誌「the座(ざざ)」10号収録)

 第1次監督時代(75~80年)には、実に不思議な方法で選手の好不調を判断していた。目の前に両手のひらを立て、その間から選手の打撃を見るのだ。これは松本匡史氏から聞いた話である。

「選手がバットを振り、スエーして体が横や前に流れると、『こいつは打てない!』と長嶋さんは言うんです。軸回転で打てていないから。これはよく当たりましたよ」

 雨が降り出すと、長嶋さんは手のひらを縦から横にして、その間から雨を観察する。「これからもっと降ってくるぞ」と長嶋さんが言うと、実際に本降りになったそうだ。長嶋さんはそんな独特の見方を誰に教わったのか、天才的なヒラメキで考えたのか、これも今となっては謎のままだ。

 2004年3月4日、長嶋さんは脳梗塞を起こして倒れた。実は、その前日3日、ある“前兆”があったという。ゴルフ練習場でクラブを振っていた長嶋さんが、突然右手のしびれを訴えたのだ。当時、この話を教えてくれたのは、ミスターと同じV9(65~73年の9年連続リーグ優勝と日本一)戦士の柴田勲氏だ。

「しびれた手をマッサージしてもらったそうです。後で思えば、それが伏線だったのかな。まさか、あの長嶋さんが倒れるなんて誰も思わないから」

 その後のリハビリ中、長嶋さんは杉下茂氏に「お父ちゃん、体を大切にしなきゃダメだよ」と声をかけている。当時82歳の杉下氏は、それから毎年、健康診断を受けるようになった。ミスターの温かい一言は、前兆を見過ごした経験から発した気遣いだったのか。