【赤ペン!】先週21日に行われた長嶋茂雄さんの「お別れの会」は、球史一番の規模の大きさだった。長嶋さんが世代を超えて愛されていたことが、改めて実証されたと言っていい。

 しかし、巨人の第1次監督時代(1974~80年)の選手には愛される以上に恐れられていた。西本聖や角盈男にゲンコツを見舞ったり、張本勲に正座させて説教したり、選手全員を遠征先で連日外出禁止にしたり。広島、大阪と転戦する間、選手を延々と宿舎に缶詰めにしたこともある。大阪から札幌へ向かう直前、たまりかねた選手たちを代表して、主砲・王貞治が長嶋監督に懇願した。

「札幌へ移動する日だけでも外出を許可してください。地元の友人たちや後援者の方々が我々を待ってるんですから」

 長嶋監督もこの時だけは折れた。が、翌日からの3連戦ではまた宿舎に缶詰めにしている。

「ミスターはだらしない負け方が大嫌いだったんだ。特に投手が四球を出したり、打者が見逃し三振したりするのが」と角氏は言っていた。

 怒りのあまり、周囲の物をぶっ壊すことも再三再四だった。負け試合の後、長嶋監督が移動用のバスに乗り、一番前の席に座ると、カメラマンが窓の外からフラッシュをたく。激怒した長嶋監督が「ええい!」と怒号を上げて右手でカーテンを引くと、ガシャーン! ドン!とごう音とともにカーテンがちぎれ、カーテンレールが落下した。

 ミスターの後ろの席にいた投手コーチの杉下茂氏は「すごい音で度肝を抜かれた」そうだ。球場でドアや壁を殴ったり、ゴミ箱を蹴飛ばしたりもしょっちゅう。その後、長嶋監督が自分で痛めた手や足に湿布薬を貼り、包帯を巻いている姿を投手コーチの高橋義正氏は何度も目撃している。

 93年、57歳で監督復帰してからも、長嶋監督は時々何かを蹴っては足を痛めていた。が、宿舎の門限に関しては一転しておおらかになっている。

 94年の同率首位決戦「10・8」から10日前の9月28日、巨人はナゴヤ球場で中日に敗れ、この時点でゲーム差0。選手が意気消沈している帰りのバスの中で、長嶋監督は突然マイクを取った。

「みんな、ご苦労さん。今日は負けたけど最後に勝つのはウチだ。安心していていいぞ。こんな日はホテルにこもってないで飲みに行きなさい。今夜は門限なしだから」

 おかげで選手みんながリフレッシュできた。厳しいだけではなく、ここという時に見せる優しさが心に染みる人だった。