近鉄最後の日本シリーズ出場は2001年という事実を忘れている近鉄ファンはいないだろう。ド派手に勝ち抜いたパ・リーグペナントレースとは対照的に、ヤクルトを相手に戦った頂上決戦では1勝4敗と惨敗したことも忘れないはずだ。ただ、その唯一の1勝を挙げた勝利投手が誰だったのか。それを記憶しているファンどれほど存在するだろうか。その名は岡本晃。スリークオーター気味のサイドスローから、力のあるボールを投げ込む右腕だ。
岡本は兵庫県神戸市出身。古豪の三田学園高に進学し、2年秋の秋季県大会では神戸弘陵を相手に延長10回を投げ抜いて完封勝利で優勝投手となっている。近畿大会では1回戦で近大附属高を2―1で下して、1991年春のセンバツに出場。関西大へ進学後は関西学生リーグで通算39試合に登板し、16勝6敗、防御率1・73。4年時の95年春季リーグでは開幕戦でノーヒットノーランを達成するなど6勝を挙げて優勝に貢献すると、同年のドラフトで近鉄を逆指名し2位で入団している。
1年目の96年は期待されながら一軍登板はなし。だが、2年目に一気にブレークした。30試合(先発22試合)で1完封を含む3完投など10勝6敗、リーグ2位の防御率2・82と頭角を現した。
99年には初の開幕投手を務めシーズン9勝。徐々にチームでの立場を確立しつつあった。だが00年は故障もあり9試合の登板のみ。01年は梨田監督の意向でリリーフに転向し、心機一転のシーズンを迎えていた。
岡本は守護神・大塚晶文の不調もあって、シーズン序盤はクローザーとしても活躍。大塚の復調後にはセットアッパーに定着し、看板打線が確保したリードを確実に白星とする役目を担った。
終わってみればチーム最多の61試合に登板し4勝4敗8セーブ、防御率2・73という成績。いてまえ打線はシーズン211本塁打で破壊力を発揮した反面、投手はチーム防御率はリーグワーストの4・98という中で、岡本が陰のMPVという声もあったほどの貢献度だった。
そしてヤクルトとの日本シリーズでは、第2戦でシリーズ史上最少投球数タイとなる2球で勝利投手となった。この3年後となる04年シーズン終了後に近鉄がオリックスと合併消滅したため、岡本は日本シリーズで近鉄に最後の勝利をもたらした投手となった。
02年は守護神・大塚が開幕直前に脇腹痛で出遅れ、代役クローザーとしてスタート。その後もセットアッパーとして快投をみせ、65試合で7勝2敗18セーブ、防御率1・82と申し分のない成績を残した。オフの契約更改では年俸も1億円を突破。野球選手として絶頂期を迎えていた。「振り返れば01年、02年のあたりでむちゃをしすぎたかな」と話したように、ここからは成績が下降線をたどることになる。
ちなみに岡本は、02年10月2日の西武戦でアレックス・カブレラに当時のシーズン最多タイ記録となる55号本塁打を打たれている。














