【昭和~平成スター列伝】“怒涛の怪力”と呼ばれIWA世界ヘビー級王者として国際プロレスを支え、アントニオ猪木との歴史的名勝負(1974年3月19日、蔵前国技館)で一時代を築いた故ストロング小林さんの展覧会「ストロング小林展 第2弾 懐かしき昭和プロレス展」が、10月10日から15日まで東京・青梅市の西友河辺店で開催される。2023年12月に開催された展覧会の続編で、偉業をさらに掘り起こす内容になるという。ファン必見のイベントだ。

 国際時代の小林といえばやはり25回の防衛を記録したIWA世界ヘビー級王座が金看板だった。当時、国際は“金網の鬼”ラッシャー木村が金網デスマッチで奮闘していたが、実は小林も金網デスマッチでのIWA防衛戦を経験している。本来ならベルトを懸けるだけでも価値があったが、観客減に悩んでいた国際にとって苦肉の策だった。

 71年10月にダニー・リンチを相手に初の金網デスマッチに臨むと、72年1月27日横浜ではキング・カーティス・イヤウケアを相手に初めて金網デスマッチでIWA防衛戦を行っている。観衆は5000人(主催者発表)。3カウントの後に2度のカウントアウトで勝負を決する過酷なルールだった。

「チャンピオン小林が出鼻を襲い、鉄柱にガンガンぶつけ、あっという間にイヤウケアの額が割れる。その傷口へパンチ、キック、かみつきと猛攻。イヤウケアは急所へニードロップを決め3回目のフォール。しかしカウント8で辛うじて立つ。イヤウケアのせん抜きを額の傷に突き立て、いつもの温厚な小林とは思えないクレイジーファイト。急所まで叩き、肩車からブレーンバスター。小林の猛攻は続き、大の字のイヤウケアの傷口へキックを7発。肩車を決めてブレーンバスター。のびたイヤウケアを無理矢理立たせて、もう1発とどめのブレーンバスター。そして小林は2回目のフォール。その後、30秒のカウント。イヤウケアは上半身だけ起こして力尽きる。最後の10カウントが入って28分30秒、小林が10回目の防衛に成功した。『金網の中へ入ると固くなる。金網は4回目。しかしタイトル戦は初めてだし…』と語った小林だが、この日の勝負は大技の明暗で、野獣の戦いであるデスマッチを締めくくった小林のブレーンバスターはピカ一だった」(抜粋)

金網での激闘を制し国際セコンドに肩車される小林
金網での激闘を制し国際セコンドに肩車される小林

 この後も小林は金網デスマッチに出陣して、王座戦も金網で何度か行った。73年11月にワフー・マクダニエルに敗れて防衛記録をストップされるも、5日後に王座奪還。しかし74年2月には国際を退団するために王座を返上。歴史的な猪木との“昭和の巌流島決戦”へ向かうことになる。 (敬称略)