【プロレス蔵出し写真館】IWA世界タッグのベルトを手に小林省三が帰国した。今から54年前の1969年(昭和44年)6月25日のこと。リングネームはこの日からストロング小林になった。
小林は前年10月7日に武者修行のため欧州へ出発。8か月での帰国は早すぎる気もするが、「230試合は軽く越えました。1日に2、3試合というのもありました。予想以上の成果が上がったので、こんなに早く帰れることになりました」。小林は会見でそう答えた。
「(サーキットしたのは)英国に半年、西独(当時)に2か月ぐらい。フランス、ベルギー。収穫は、最大が豊登さんとのタッグで取ったIWA世界タッグ。印象に残る相手はホースト・ホフマン。そのホフマンと50分間戦い、引き分けたゲームですね」(小林)
小林は帰国前の5月18日にフランスのパリで、豊登とのコンビでモンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)&イワン・ストロゴフ組を撃破し、IWA世界タッグ初代王者に就いていた。そして、189連勝という記録も作った。
評論家の門馬忠雄さんは「小林は初めてヨーロッパ行って、あちこちずいぶん行ってるはずだよ。アフリカまで行ってるからね。めったに自慢しないけど『アフリカまで行って、自衛隊の人とか(大使)館邸の人の歓迎受けて、今でも付き合ってます』って言ってたから。アントニオ猪木、ジャイアント馬場よりヨーロッパでは知名度があった」と教えてくれた。
小林の凱旋帰国第1戦は6月27日、栃木・足利市月見ヶ丘学園会館でのウィリアム・ホール戦。60分3本勝負で行われ、1本目は小林がベアハッグからコーナーポストにぶつけ、ワンハンド・バックブリーカー。ボディースラムを決めニードロップ2連発。ホールは立ち上がれず10カウントが数えられ10分50秒、KO負け。
2本目は立ち上がれないホールの試合放棄となり、小林が2―0のストレート勝ちを収めた。
小林は物足りないとばかり、豊登と手を交差させて引っ張りっこで力比べのデモンストレーション。怪力をアピールした(写真)。国際プロレスの吉原功代表は、小林の売り出しに力を入れていた。
小林は74年2月にフリー宣言するまで、国際で実績を積みエースに君臨し、〝怒涛の怪力〟として団体を支えた。
門馬さんは小林さんの〝素顔〟について次のように明かす。
「小林は『門馬さん、しばらく~』ってケツ触ってくるんだから。あそこは女系家族。なんでも『お母さんが、お母さんが』だよ。男っぽい体してるけど、性格がナヨナヨしたところがあったな」
それでも「人間的には小林はいいやつ。腰痛めて車イスのときに、猫をかわいがってた。いかにも小林らしいなと思った。やさしい人間だった。顔はゴツくて仁王様みたいだったけど心はやさしい、珍しいレスラーだった」と懐かしむ。
12月15日から東京・青梅市の西友河辺店4階の市民ホールでは、偉業を称える「ストロング小林展」が開催されている。
写真パネルが展示され、小林が覆面太郎としてプロレスデビュー(67年7月27日、対大磯武)した時に被っていたマスク。ガウンや自作のコンクリートダンベル。東スポが猪木戦(74年3月19日、蔵前)で贈呈した敢闘賞のトロフィーなどが飾られている。
門馬さんは「(覆面太郎の)マスクが発見されたのがびっくりしたよ。(亡くなった)豊登がイタズラして、やったんだろうからさ」と笑った。
ストロング小林展は19日まで開催される(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














